山地進

日本航空・元取締役社長

Yamaji Susumu(敬称略)

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社長就任 1985年12月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

運輸省で運輸事務次官を務めた官僚で、1985年に常勤顧問として日本航空へ入り、同年12月に取締役社長へ就任した。当時の日本航空は運賃改定を運輸省の認可に委ねる立場にあり、1979年には国内線運賃の平均27.4%値上げを申請している。収入の70%を国際線が占め、為替レートは1ドル296円に据え置いたままだった。監督官庁の事務方トップが、被監督企業のトップへ移った人事である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1985年8月12日、東京から大阪へ向かった123便が御巣鷹山に墜落し、520人が死亡した。原因は与圧用後部隔壁の破壊で、しりもち事故の際のボーイング社の修理に手抜かりがあった。高木養根社長と町田直副社長は責任をとって退任し、同年12月、鐘紡会長の伊藤淳二氏が副会長として送り込まれ、山地氏が社長、日航商事社長の利光松男氏が副社長に就任した。役員会が完全民営化の方針を決めたのは、墜落と同じ日である。

在任中の主な施策
施策

日本航空の完全民営化は、1987年9月の関連法案成立を受けて同年11月に実現した。同じ年に明るみに出たのが為替予約で、11年間で36億ドルを超える額が183円のレートで予約されていた。当時の実勢は1ドル130円台だった。社内の気風について、1986年6月に取締役に就き1987年3月に辞めた田中茂信は、失敗を社外へ出さないのが良しとされ、真相を突き詰めて筋を通す者ほど疎まれたと評している。旅客・貨物の輸送実績で1983年から守ってきた世界一の地位も、1988年には他社に渡った。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1985〜1990年
在任中の業績
就任前(FY84)8,272億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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