パイロットコーポレーション の歴史

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創業 1918年
創業者 並木良輔
創業地 東京都
創業
1918年1月、並木良輔氏が東京で株式会社並木製作所を設立した。東京高等商船学校の教官だった並木氏は、錆びないペン先を求めて船のコンパスの軸先に使われていたイリジウムに行き着き、万年筆の製造を始めている。和田正雄氏の出資を得ての設立で、1926年10月にインキ、1927年6月にシャープペンシルと創業10年以内に3系列を揃えた。1926年3月にはロンドン・ニューヨーク・上海・シンガポールへ支店や出張所を開設して輸出も始める。1938年6月にパイロット萬年筆へ商号を改めたが、終戦で海外の工場・支店・出張所をすべて失った。1961年9月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、1989年10月に萬年筆を外して株式会社パイロットとなる。
決断
30年かけて広げた事業から撤退し、31年寝かせた特許で世界へ出た。1950年4月に名古屋のインキ工場を分離してパイロットインキを設立し、1960年1月にパイロット機工を設立して、本体・インキ・機工の3社体制をとる。1967年に中国製の安価な万年筆が497万本流入すると、1968年6月期に約14億円の欠損金を計上して無配へ転落した。1969年からは貴金属・OA機器・電子文具へ広げたが、1991年に電子文具の貸倒れで社長が辞任した。2002年1月には3社共同の株式移転で持株会社を設立し、2003年7月と2008年7月の吸収合併で1社へ戻した。2001年に再着手したメタモインキは、1975年の特許取得から31年後の2006年にフリクションとして欧州で発売される。多角化した事業の整理と並行して古い特許を作り直したことが、筆記具1品目のまま海外へ出せる商品を残した。
現況
原材料の値段の動きが、そのまま営業利益の増減になる。2025年12月期の連結売上高は1,264億円で前期比0.2%増にとどまり、営業利益は166億円で6.5%減、営業利益率13.2%は2016年12月期の21.4%より8ポイント低い。樹脂・染料・金属パーツの調達価格が営業利益へ直に響く構造で、2022年以降の原材料価格の上昇がこの差として表れた。地域別の売上は米州401億円、アジア302億円、日本294億円、欧州268億円で、海外が77%を占める。2023年9月には約56億円を投じたパイロットインキみよし工場を稼働させてインキの内製を強め、米州・欧州の販売会社では小売価格の引き上げ交渉を続けている。価格改定が通る時期が、利益率の戻る時期を決めている。
競合
海外へ出したのは自社で作った商品で、取得した会社は国内に限られた。2006年に欧州で発売したフリクションは2024年12月までに累計47億本、1997年に米国で発売したG-2は同46億本に達し、米州を最大の市場へ押し上げた。同じ筆記具の海外の老舗ブランドを取得してきた三菱鉛筆は、2016年にMITSUBISHI PENCIL France、2024年にドイツのC. Josef Lamyと海外の老舗を取得して拠点を増やしている。パイロットが2023年1月に取得したのはノート・手帳のマークスで、2025年7月に吸収合併して非筆記具へ広げた。商品は自社で作って海外へ運び、会社は国内で取得するという分け方が、海外の売上を1つの商品群へ寄せ、国内の成長を筆記具の外へ振り分けた。
パイロットコーポレーション:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年12月期2025年12月期

創業ストーリー 国産万年筆の確立と三者鼎立・量産直販によるトップメーカー化 (1918年〜)

並木製作所の設立と戦時下・戦後復興期

パイロットコーポレーションの原点は、1918年1月に並木良輔氏が東京で設立した株式会社並木製作所である[1]。東京高等商船学校の教官であった並木氏は、インキをつけずに書ける烏口を考案し、錆びないペン先を求めて船のコンパスの軸先[2]に使われていたイリジウムに行き着いたことから万年筆の製造を始めた。当初は自宅で手がけていたが、和田正雄氏[3](後の社長和田正一郎氏の父)の出資を得て会社設立に至った。1926年10月にインキ[4]、1927年6月にシャープペンシルへと品目を広げ[5]、創業10年以内に万年筆・インキ・シャープペンシルの3製品系列を整えた。

  • 有価証券報告書
    • [1]1918年1月 並木良輔が株式会社並木製作所を設立(万年筆の製造・販売開始)
    • [4]1926年10月 インキ製造・販売開始
    • [5]1927年6月 シャープペンシル製造・販売開始
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [2]創業者並木良輔は越中島の高等商船学校の教官で、烏口の考案から錆びないペン先としてイリジウム(船のコンパス軸先に使用)を見出し万年筆製造を始めた
    • [3]当初は自宅で製造、和田正雄(和田正一郎前社長の尊父)の出資を得て会社設立に至った

1926年3月にはロンドン・ニューヨーク・上海・シンガポールに支店や出張所を開いて輸出も始め[6]、海外へ販路を広げた。1935年12月に並木製作所志村工場(東京都板橋区、1966年5月に東京工場へ改称)を構えて生産拠点を拡張[7]、1938年6月に商号をパイロット萬年筆株式会社へ改称した[8]。終戦により海外の工場・支店・出張所をすべて喪失したが、1945年4月に志村工場を復旧して生産を再開[9]し、1948年1月から文具品の販売にも進出した。戦後は万年筆の普及が早く、品質に優れた同社製品は需要に追われるほど好調で、1948年11月に平塚工場を開設して発展に備えた[10]

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [6]1926年3月 ロンドン・ニューヨーク・上海・シンガポールに支店・出張所を開設し輸出を開始
    • [9]終戦で海外の工場・支店・出張所をすべて喪失、1945年4月に志村工場を復旧して生産を再開、1948年1月から文具品販売に進出
  • 有価証券報告書
    • [7]1935年12月 並木製作所志村工場を開設(1966年5月に東京工場へ改称)
    • [8]1938年6月 並木製作所をパイロット萬年筆株式会社と改称
    • [10]1948年11月 平塚工場を開設
  • 有価証券報告書
    • [1]1918年1月 並木良輔が株式会社並木製作所を設立(万年筆の製造・販売開始)
    • [4]1926年10月 インキ製造・販売開始
    • [5]1927年6月 シャープペンシル製造・販売開始
    • [7]1935年12月 並木製作所志村工場を開設(1966年5月に東京工場へ改称)
    • [8]1938年6月 並木製作所をパイロット萬年筆株式会社と改称
    • [10]1948年11月 平塚工場を開設
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [2]創業者並木良輔は越中島の高等商船学校の教官で、烏口の考案から錆びないペン先としてイリジウム(船のコンパス軸先に使用)を見出し万年筆製造を始めた
    • [3]当初は自宅で製造、和田正雄(和田正一郎前社長の尊父)の出資を得て会社設立に至った
    • [6]1926年3月 ロンドン・ニューヨーク・上海・シンガポールに支店・出張所を開設し輸出を開始
    • [9]終戦で海外の工場・支店・出張所をすべて喪失、1945年4月に志村工場を復旧して生産を再開、1948年1月から文具品販売に進出

インキ事業の分社化とボールペン参入

1950年4月、インキ事業をパイロットインキ株式会社へ分社化し[11]、1960年1月にパイロット機工株式会社を設立して生産系子会社体制を整えた[12]。並行して海外でも合弁会社を相次いで設立し、1952年7月にパイロット万年筆(インド)、1954年4月に同(ブラジル)、1959年5月に同(ビルマ)、1962年3月に同(タイ国)を各国の資本と組んで立ち上げ[13]、戦前に失った海外拠点を合弁方式で再建した。1961年3月にはボールペンの製造販売を開始し[14]、万年筆専業からボールペンへと品目を広げた。

  • 有価証券報告書
    • [11]1950年4月 パイロットインキ株式会社を設立(インキ事業分社化)
    • [12]1960年1月 パイロット機工株式会社を設立
    • [14]1961年3月 ボールペン製造・販売開始
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [13]海外合弁を相次ぎ設立(1952年7月 インド/1954年4月 ブラジル/1959年5月 ビルマ/1962年3月 タイ国のパイロット万年筆)

1961年9月にパイロット萬年筆が東京証券取引所市場第二部に上場[15]、1962年8月に東証市場第一部と大阪証券取引所市場第一部へ指定替え・新規上場し[16]、創業44年で資本市場での地位を固めた。製品面では1955年12月に万年筆の新製品パイロットスーパーを発売して人気を集め[17]、1963年11月には世界で初めてキャップのない万年筆パイロットキャップレスを発売した[18]。1961年11月のメタルビー、1966年4月のホワイトボードと新分野の製品も投入し[19]、1965年12月にはコンピュータリボン製造販売へも踏み出して[20]戦後の電子事務機器普及に対応する品揃えを加えた。

  • 有価証券報告書
    • [15]1961年9月 パイロット萬年筆が東京証券取引所市場第二部に上場
    • [16]1962年8月 東証一部へ指定替えおよび大証一部に新規上場
    • [20]1965年12月 コンピュータリボン製造・販売開始
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [17]1955年12月 新製品パイロットスーパーを発売し人気を集めた
    • [18]1963年11月 世界で初めてキャップのない万年筆パイロットキャップレスを発売
    • [19]1961年11月 メタルビー、1966年4月 ホワイトボードを発売(新分野の開発)
  • 有価証券報告書
    • [11]1950年4月 パイロットインキ株式会社を設立(インキ事業分社化)
    • [12]1960年1月 パイロット機工株式会社を設立
    • [14]1961年3月 ボールペン製造・販売開始
    • [15]1961年9月 パイロット萬年筆が東京証券取引所市場第二部に上場
    • [16]1962年8月 東証一部へ指定替えおよび大証一部に新規上場
    • [20]1965年12月 コンピュータリボン製造・販売開始
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [13]海外合弁を相次ぎ設立(1952年7月 インド/1954年4月 ブラジル/1959年5月 ビルマ/1962年3月 タイ国のパイロット万年筆)
    • [17]1955年12月 新製品パイロットスーパーを発売し人気を集めた
    • [18]1963年11月 世界で初めてキャップのない万年筆パイロットキャップレスを発売
    • [19]1961年11月 メタルビー、1966年4月 ホワイトボードを発売(新分野の開発)

三者鼎立による万年筆トップメーカー化と1968年危機

パイロット萬年筆は創業以来、使う者・売る者・造る者がともに栄えることを掲げる三者鼎立の経営基本方針を貫き[21]、優れた製品を低コストで送り出すことを企業の型とした。問屋を介さず小売店へ直接届ける流通と量産能力で輸入品との価格競争を凌ぎ、戦後の万年筆普及期に品質で抜きん出た同社製品は、国内市場で金額シェア約50%を占める圧倒的な地位を築いた。パイロットは万年筆の代名詞といわれるまでになり[22]、資産内容の良さでも知られた。創業から約半世紀をかけて、国産筆記具のトップメーカーとしての地位が固まった時期である。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [21]創業以来、使う者・売る者・造る者の共存共栄を掲げる三者鼎立の経営基本方針を貫いた
    • [22]国内市場における金額シェアは約50%で圧倒的、パイロットは万年筆の代名詞といわれた

万年筆の輸入が自由化された1962年以降、同社はパーカーやモンブランなど先進国メーカーと競える品質・価格を整え、先進国製品の輸入は年間100万本前後で頭打[23]ちとなった。ところがコストを度外視した中国製の安価な万年筆が1967年に497万本も流入して国産のシェアを侵食し、同社は230万本の過剰在庫を抱えた[24]。この在庫を一度に処理する強硬策により、1968年6月期には約14億円の欠損金を計上し、年1割6分配当から無配へ転落した[25]。年間約600万本だった生産販売を適正水準の450万本へ絞り込む再編に着手し[26]、万年筆中心の事業構成そのものの見直しを迫られた。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [23]万年筆の輸入自由化は1962年、パーカー・モンブランなど先進国メーカーと競える体制を確立し先進国製品の輸入は年間100万本前後で頭打ち
    • [24]1967年に中国製の安価な万年筆が497万本流入、同社は230万本の過剰在庫を抱えた
    • [25]過剰在庫の一括処理により1968年6月期に約14億円の欠損金を計上、年1割6分配当から無配へ転落
    • [26]年間約600万本だった生産販売を適正水準の年450万本へ絞り込む再編に着手
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [21]創業以来、使う者・売る者・造る者の共存共栄を掲げる三者鼎立の経営基本方針を貫いた
    • [22]国内市場における金額シェアは約50%で圧倒的、パイロットは万年筆の代名詞といわれた
    • [23]万年筆の輸入自由化は1962年、パーカー・モンブランなど先進国メーカーと競える体制を確立し先進国製品の輸入は年間100万本前後で頭打ち
    • [24]1967年に中国製の安価な万年筆が497万本流入、同社は230万本の過剰在庫を抱えた
    • [25]過剰在庫の一括処理により1968年6月期に約14億円の欠損金を計上、年1割6分配当から無配へ転落
    • [26]年間約600万本だった生産販売を適正水準の年450万本へ絞り込む再編に着手

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パイロットコーポレーションの沿革1918〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1918〜1971年国産万年筆の確立と三者鼎立・量産直販によるトップメーカー化並木製作所を設立
インキ製造・販売開始
シャープペンシル製造・販売開始★★
並木製作所志村工場を新設
並木製作所をパイロット萬年筆に商号変更
パイロット萬年筆平塚工場を新設
名古屋インキ工場の分離独立によるパイロットインキの設立

1950年4月、パイロット萬年筆は名古屋インキ工場を母体としてパイロットインキ株式会社を設立した。1926年10月に始めたインキの製造を本体から切り離し、名古屋に本拠を置く別法人へ移す組織再編であった。同社は2025年12月末時点でも議決権100%の連結子会社として残る。

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★★★
パイロット機工を設立
ボールペン製造・販売開始★★
パイロット萬年筆が東京証券取引所市場第二部に上場
東京証券取引所市場第一部に指定替え・大阪証券取引所市場第一部に新規上場
コンピュータリボン製造・販売開始
1972〜2002年貴金属・OA機器への多角化の挫折と筆記具中心への再収斂Pilot Corporation of Americaを設立
貴金属・宝飾品類製造・販売開始★★
パイロット機工をパイロットプレシジョンに商号変更
伊勢崎工場・東松山工場を新設
パイロット萬年筆をパイロットに商号変更
Pilot Industry Europe S.A.を設立
パイロット伊勢崎第二工場を新設
3社共同の株式移転による持株会社の設立と、事業会社の吸収合併によるグループ一体化

2001年12月に株式会社パイロットが東証・大証一部の上場を廃止し、2002年1月、同社とパイロットインキ株式会社・パイロットプレシジョン株式会社の3社が共同の株式移転により株式会社パイロットグループホールディングスを設立して両取引所の一部へ新規上場した。持株会社は1年半後に事業会社を吸収し、社名をパイロットコーポレーションへ改めた。

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★★★
2003年〜「フリクション」世界展開とマークス取り込み(2003〜現在)髙橋清パイロットを吸収合併し社名をパイロットコーポレーションに商号変更★★
髙橋清パイロットプレシジョンを吸収合併
渡辺広基国内生産体制強化のためパイロットコーポレーション平塚工場を建替え
渡辺広基湘南開発センターを開設し全開発部門を集結
渡辺広基パイロットロジテムの社屋・物流倉庫を建替え
伊藤秀本社ビルを建替え
伊藤秀パイロットインキの玩具事業を会社分割により承継★★
伊藤秀東京証券取引所プライム市場に移行
伊藤秀マークスグループ・HD・子会社マークスを子会社化★★
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
  • PILOT At A Glance 2026年4月版

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