この判断の難しさは、危機のさなかではなく、まだ伸びているように見える時点で売上を作る仕組みを止めた点にある。売上高が4年で2.7倍という数字だけを見れば、経営が誤っているとは誰も言わない。実際に壊れていたのは回収と在庫の側であり、そこに手を入れれば当期の利益は減少する。1965年3月期の13%減益は、その代償を先に払った結果と推察される。創業者が自ら指揮を執った点も、痛みを伴う転換を短期で通しきるうえで働いたのだろう。
もっとも、少品種大量生産という型は、成熟した市場で新しい需要を作ろうとするとき、制約にもなりうる。品種を絞れば絞るほど、既存の主力商品の寿命に会社の収益が依存する。1970年代半ばの江崎グリコがポッキーやビスコといった定番商品を改良で延命させ続けたことは強みであると同時に、次の柱を生む余地を狭める要素でもあった。売れる分だけ作るという規律をどこまで貫き、どこから需要創造の投資へ資源を割くのか——この配分の問いは、機能性菓子やオフィスグリコを手がけたのちの江崎グリコにも引き継がれている。