この合併は、メーカーの合併が公正取引委員会に止められた翌年に、止められなかった側が動いた案件である。生産の集約はシェアの壁に阻まれたが、流通の集約は同じ壁に当たらなかった。7代理店が連名で見解を出し、メーカーがそれに応じて体質強化を求め、そのうちの2社が合併する——業界の再編が、生産ではなく流通から先に進んだ順序に、この時期の紙業界の事情が表れている。
合併比率1対1と新社名という形式は、規模で勝る中井が譲ることで成立した。ただし譲ったのは名であって、経営そのものではない。社長には中井の平田氏が就任し、富士の広瀬氏は相談役として退いている。名を捨てることと経営の実を取ることを、両社の社長が交渉の早い段階で切り分けていたと思われる。捨てられた"中井"の名は、いまも戻っていない。