輸出が伸びたから販売会社を設立した話として読むと、順番を取り違える。1968年2月の時点で製品は55〜56カ国へ出ていたが、輸出比率は6%にすぎなかった。それでも後藤十次郎社長は1カ月半かけて米国と欧州を自ら回り、駐在員の派遣を口にしている。量が出そろう前に現地へ人と会社を設立する順で動いた点に、この判断の芯がある。国内で販売を問屋に委ね、自社の拠点をアフターサービスに充てた設計を、そのまま外へ移したと思われる。
もっとも、置いた会社がすぐ売上へ化けたわけではない。1970年のマキタUSAから1984年の米国統括会社まで14年を要し、置いたのは販売会社であって工場ではない。欧州に生産拠点ができるのは1989年12月、ドイツのチェーンソーメーカー買収は1991年1月で、いずれも最初の一社から20年後である。欧州が連結売上の半分を占める2025年3月期の姿は、販社を並べた14年の上に、さらに数十年を重ねた結果といえる。