郊外型ディスカウントストアから都市型「深夜DS」への転換
金融ビックバンで放出された都心の一等地に、安田隆夫氏はなぜ深夜営業店を賭けたか
更新:
- 概要
- 1997年、郊外を地盤に伸びてきたドン・キホーテが、創業者・安田隆夫社長の主導で新宿駅前に初の都市型・深夜営業ディスカウントストアを開き、都心の一等地への集中出店へ転じた経営判断。
- 背景
- 深夜マーケットを金鉱脈と見る同社は、次の成長に都心立地を必要としていた。折しも金融ビックバンで都市銀行の再編が進み、都心の一等地に死蔵されてきた店舗が不良債権処理のため市場に放出された。
- 内容
- 1997年11月、新宿駅前に午前6時まで営業するコンビニ型DSを開いた。閉店時刻を既存店より延ばし、郊外店の出店を続けつつ都市型立地への注力を明言。物件をいち早く押さえること自体を勝負どころと見た。
- 含意
- 新宿に続き渋谷・六本木・札幌・神戸へ都心店を重ね、来店客数の多い都市型を出店の約3割に据えた。2003年までに13期連続の増収増益を達成し、郊外の異色店は都市型ディスカウンターへ姿を変えた。
立地を制する者が業態を制する
この判断の核心は、深夜営業という強みの置き場所を、郊外から都心へ移した点にある。地価の壁で都心に出られなかった時期に、金融再編で放出された一等地をいち早く押さえ、買わずに使う立地の組み立てを見つけた。安田隆夫氏が不動産業で培った土地勘は、顧客より先に地主の事情を読む視点として働いた。深夜マーケットという需要の発見と、都心一等地という供給の確保が噛み合ったとき、郊外の異色店は都市型ディスカウンターへ姿を変えた。
都市型立地は来店客数の多さで郊外店を上回り、その後の成長を支えた。ただし一等地の確保は、金融機関の店舗という一度きりの放出物件に負うところが大きく、同じ好機がくり返し訪れるわけではない。安田氏は晩年、人口減少のもとで郊外の大型店が過剰になる危うさを自ら問うた。都心へ攻め込んだ1997年の選択は、立地をどう選び、いつ手放すかという問いを、その後のドン・キホーテに残したといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
「深夜マーケットは巨大な金鉱脈」——郊外型の到達点
ドン・キホーテは、午前2時まで営業する総合ディスカウントストアとして、首都圏の郊外・準郊外を地盤に売上を伸ばしていた。「深夜マーケットは巨大な金鉱脈」という安田隆夫社長の理念のもと、仕事帰りや夜型の生活者を取り込み、ディスカウントストア業界全体の業績が伸び悩むなかでも成長を続けた。もっとも、地価の高い都心へは自前で出るのが難しく、次の成長に向けて一等地をどう確保するかという課題が残っていた[1]。
金融ビックバンが放出した都心の一等地
転機は金融制度の側から訪れた。1996年、政府は金融自由化を見据えた金融ビックバンの段階的な実施を発表し、過剰な銀行数の再編と不良債権処理を促した。都市銀行の合併と現金自動預け払い機への業務移管が進むと、都心の一等地に死蔵されてきた銀行店舗が処分の対象となり、市場に出回り始めた。地価の壁で都心に出られなかった新興小売にとって、またとない出店の好機が開けた[2]。
決断
新宿駅前へ、閉店を午前6時まで延ばした都市型店
1997年4月、ドン・キホーテは同年11月をめどに、東京・新宿へ午前6時まで営業するコンビニ型のディスカウントストアを開くと発表した。出店地は新宿駅前とし、閉店時刻を既存店の午前2時からさらに延ばした。安田社長は新宿店を初の都市型店とし、夜型の生活が広がるなかで夜間の売上比率はいっそう高まると見込んだ。郊外型の出店も従来どおり続けつつ、自社のような店はむしろ都市型立地に合うと述べ、都市型への注力を明言した[3][4]。
物件確保を勝負どころに、都心集中の出店へ
安田社長は新宿の物件について「物件を確保した時点で成功が約束されたようなもの」と語り、都心の一等地をいち早く押さえること自体を勝敗の分かれ目と見ていた。新宿への進出後、同社は都心で廃業した金融機関店舗や商業施設への入居を重ねた。2001年、安田社長は郊外型店の約1.5倍の来店客数が見込める都市型は魅力だとし、出店数の約3割を都市型に振り向ける方針を示した。関西の繁華街でも同様の物件を探すと述べ、都心集中の出店を全国へ広げた[5][6]。
結果
都心店の連続出店と13期連続の増収増益
新宿を皮切りに、ドン・キホーテは渋谷・六本木・札幌・神戸と、繁華街や駅前の一等地へ都心店を重ねた。夜型の来店客を取り込む都市型店は郊外店を上回る集客をもたらし、2003年までに同社は13期連続の増収増益を達成した。若い店員が動き回る不夜城のような店の活気の裏には、仕入れから売り場づくりまでを現場に委ねる権限移譲があった。都市型という新しい器に、創業以来の深夜営業と圧縮陳列を移し替えた形である[7][8]。
- 日本経済新聞(1997年4月4日 朝刊)「営業時間は午前6時まで」
- 日経流通新聞(1997年6月14日)「深夜営業DS展開」
- 日経流通新聞(1997年10月16日)「深夜営業DS、都心にも」
- 日経MJ(2001年5月17日)「出店するなら銀行跡」
- 日経MJ(2001年5月10日)「来年にも関西進出」
- 日経ビジネス 2003年6月2日号「意外性を売り続ける」