ディップIBMに対抗せず提携し、端末はIBM・コンテンツはディップという分担で人材情報へ向かった判断
同じ市場を狙う世界的大手と、資本金2,900万円の新興企業はどう向き合ったか
- 概要
- 1998年1月、設立2年目のディップは、コンビニ店頭の情報端末をめぐって競合しかけたIBMと争わず、IBMとのコンテンツパートナー契約を結んだ。端末というハードはIBM、そこへ載せる情報と参加企業の開拓はディップという分担で「無料カタログ送付サービス」を立ち上げた経営判断。
- 背景
- 創業者の冨田英揮氏が構想した無料カタログ送付サービスは、専用端末を大量に設置できなければ成り立たなかった。営業先のマクドナルド経由で、同種の端末設置をIBMが持ちかけていることを知る。
- 内容
- 対抗ではなく提携を申し入れ、都内1000店舗のコンビニに設置済みだったIBMの端末へ自社のコンテンツを載せる形をとった。運用システムの開発費は自社負担という条件で、年間契約料を先払いで受け取ってクライアントを集め、開発資金を賄った。
- 含意
- 設備を持たずに接点を借りるという分担は、その後のローソン「Loppi」やインターネットへの移行にも引き継がれた。端末に載せたカタログのうち人材派遣の反響が突出し、これが主力「はたらこねっと」の前身となった。
競合を設備の提供者として読み替える
この判断の中心にあるのは、競合と映った相手を、自社に欠けている設備の提供者として読み替えた点である。無料カタログ送付サービスという構想は、端末という物理的な設置網なしには成立しない事業であり、その設置網こそディップが持ち得ないものであった。同じ場所を狙う相手が先に設置を終えていたという事実は、普通には敗色として読まれる。冨田氏はそれを、自社が資金を投じずに接点を使える機会として受け取った。競争の土俵をハードからコンテンツへずらすことで、資本の差が勝敗を決めない領域へ事業を移したとみることができる。
もっとも、他社の設置網に乗るという形は、その網の持ち主に事業の前提を委ねることでもある。ディップはのちにヤフーとの提携でも同じ形をとり、そこでは提携解消の通告という別の帰結に直面した。設備を持たずに情報の中身で稼ぐという型は、身軽さと引き換えに、チャネルの持ち主が方針を変えれば足元が動く性質を伴う。創業期のこの選択は、その両面をあらかじめ含んでいたとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
情報端末で集客を量産するという構想
ディップの源流は、創業者の冨田英揮氏が父から引き継いだ英会話スクールの運営にある。素人として飛び込んだスクール経営で冨田氏が突き当たったのは、生徒募集の費用対効果という壁で、折り込みチラシによる募集では一人の生徒を獲得する費用が年間授業料を上回ることも少なくなかった。効率のよい集客先を探していた冨田氏が着目したのが、名古屋市内の国際センタービルに置かれた英会話スクールのパンフレットコーナーであった。各スクールのカタログを並べて月額でラックを貸すこの仕組みからの入学申し込みや問い合わせが突出して多く、広告としての効きが際立っていた[1]。
そこから生まれた構想は、各種スクールの生徒募集・ブライダル・自動車購入といった多分野のカタログを専用の情報端末から取り寄せられるようにし、利用者へ無料で送る代わりに、得た顧客データを見込み客情報として企業へ売るというものであった。紙のラックと違い端末なら設置場所を取らず、カタログ補充の手間も要らない。資本金の当てもないまま事業計画を売り込む日々が2年ほど続いたのち、パソナグループの南部靖之氏とソフトバンクの孫正義氏が設立した「ジャパン・インキュベーション・キャピタル」に計画書が認められ、1997年3月、冨田氏は資本金2,900万円で愛知県名古屋市中区にディップを設立した[2][3]。
端末をどこへ置くかという難関
会社を設立しても、構想の実現には最大の難関が残った。専用端末を大量に、しかも人が集まる場所へ据えなければ、カタログを取り寄せる利用者は集まらない。冨田氏は大手外食チェーンに的を絞って営業して回ったが、かねて交渉していたマクドナルドの担当者から、同じような端末設置の話をIBMが持ち込んでいると聞かされる。同じ場所を、同じ用途で、世界最大手のコンピュータ企業が押さえにかかっていた[4]。
設置網の整備という一点で見れば、両者の差は明白であった。IBMの端末はすでに都内1000店舗のコンビニエンスストアに置かれており、あとは参加企業を集めて運用システムを開発するだけの段階まで進んでいた。一方のディップは設立から半年ほどの、資本金2,900万円の新興企業である。同じ設置網を自前で築こうとすれば、資金でも交渉力でも届く相手ではなかった[5]。
決断
対抗をやめ、ハードとコンテンツで分ける
冨田氏が選んだのは、IBMに提携を申し入れることであった。端末を置いてくれるのはむしろ好都合で、自分はそこへ載せるコンテンツを提供することで、やりたいサービスを実現すればよい——本人の言葉によれば、対抗から手を組む側へと考えを切り替えた。市場を奪い合う相手を、設備を負担してくれる相手として読み替える判断であった。1998年1月、ディップはIBMとのコンテンツパートナー契約を締結した[6][7]。
分担の中身は明快であった。端末という設備と設置場所の確保はIBMが負い、そこへ載せる情報と参加企業の開拓はディップが負う。ディップは一台の端末も持たずに都内1000店舗規模の接点を使える立場に立ち、代わりに、その画面の中身で価値を出す責任を引き受けた。自社で設備を抱えずに他社のインフラへ情報を載せるというこの形は、のちのローソン店頭端末やインターネットへの移行にもそのまま引き継がれる考え方であった[8]。
開発費を前払いで賄う
提携には条件がついていた。運用システムの開発費用は自社負担である。設立間もないディップにその原資はなかった。冨田氏は、システムが未完成のまま年間契約料を先払いで受け取る形でクライアントを集め、そこから開発資金を捻出した。カタログを載せたい企業に対して、まだ動いていない仕組みの価値を先に説く営業であり、英会話スクール時代に培った生徒募集のノウハウがそのまま転用された[9]。
半年で必要な資金とクライアントを確保した冨田氏は、1998年1月、首都圏の各コンビニで「無料カタログ送付サービス」の運用を始めた。設立からおよそ10か月での立ち上げである。設備投資も在庫も持たず、参加企業からの年間契約料で先に資金を回し、利用者には無料で使わせる。掲載する側から対価を得て利用する側には課金しないこの収まりは、後年の求人メディア事業の収益構造と同じ形をとっていた[10]。
結果
参加116社と日本IBMの表彰
立ち上げた事業は、翌1999年にトヨタ自動車や本田技研工業など全116社の参加を得て、約1億円の売上を計上するまでになった。1999年2月には、日本IBMから本年度最優秀コンテンツとして表彰も受けている。設備を持つ側からコンテンツの担い手として評価されたことは、分担を選んだ判断が提携相手の側からも成立していたことを示している[11][12]。
事業の立ち上がりに合わせて拠点も動いた。設立翌年の1998年5月、ディップは本社を名古屋から東京都渋谷区へ移し、同じコンビニ端末を使った「人材派遣お仕事情報サービス」を始めた。カタログ送付という当初の一本から、端末に載せる情報の種類を増やす方向へ事業が広がった時期にあたる[13]。
反響が突出した「人材派遣」
端末に並べた車・ブライダル・スクール・旅行といったカテゴリーのうち、クライアントの予想を超える反響を集めたのが人材派遣であった。派遣で働きたい求職者が、登録先の派遣会社を探していたためである。ある大手派遣会社からは、発信したいのは派遣会社のカタログよりも求職者が求めている仕事の情報だ、という助言を得た。これを受けて立ち上げた「人材派遣お仕事情報サービス」が、のちの主力「はたらこねっと」の前身となった[14]。
他社の設置網へ情報を載せるという分担は、その後も同社の事業を運んだ。2000年10月、ディップは全国に約7,500店舗を持つローソンと交渉し、店頭端末「Loppi」を使った派遣会社の仕事情報提供サービスを始める。同じ月にはインターネットによる派遣求人サービス「はたらこねっと」を開始しており、コンビニ端末とネットを併用しながら、情報を届ける経路をコンビニからネットへ移していった。IBMとの提携で得たのは1000店舗の接点だけでなく、設備を持たずに情報の中身で稼ぐという事業の型であったとみることができる[15][16]。
- 冨田英揮 創業インタビュー(日本の人事部 PRO_NET, 2016年2月25日)
- ディップ「沿革」(公式サイト)
- ディップ 有価証券報告書【沿革】