"ラッキーなタイミングだった"という言葉から、この改革は始まっている。1996年4月に始めた新創業運動が、たまたま自由化を先回りしたという説明であり、自由化そのものを危機として語る言葉ではない。打ち手は具体的だった。支店制への移行、自立できない代理店の切り離し、関西を厚くする地域配分と、いずれも費用と人の配置に直接手を入れた。ただし、AAという格付けを"先輩の遺産"への評価と読み、足りないのは成長力だと診断したとき、改革の設計は蓄積を守る側へ寄った。
蓄積への評価は、長くはもたなかった。誌面の3週間後にS&Pは格付けをAAからAA-へ下げ、自由化後の自動車保険では最大手の値下げが中堅・中小を直撃した。財産と呼んだ代理店網の内側では、四国支店で無登録募集が1985年から放置され、2001年3月に業務停止処分として顕在化した。それでも、全国一律を捨てて関西を厚くする選択そのものは、中堅損保の解として筋が通っている。単独で持ちこたえられる時間が短かったのは、規模が引受能力と価格競争力を決めるという産業の側の条件による。