ニッセイ同和損害保険「新創業運動」の展開:料率自由化を前にした支店制への移行と代理店網の選別
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- 概要
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1998年7月の損害保険料率の自由化を前に、大阪の中堅損保である同和火災海上保険が、須藤秀一郎社長のもとで組織を支店制に改め、代理店の選別と関西を厚くする地域配分に踏み込んだ経営判断。
- 背景
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1997年11月の創業100周年に向けて1996年4月から"新創業運動"を始めていたところ、自由化の速度が業界の予想を越えた。財務の厚みでは大手と並びながら、成長力の乏しさを指摘され続けていた。
- 内容
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組織を支店制へ切り替え、焦点を価格競争力と収益力に置いた。自立できない代理店との取引をやめる方針を示し、通販は代理店通販の範囲にとどめ、関西の基盤を厚くして支店の半減もありうるとした。
- 含意
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蓄積の厚さを守りながら成長力を補う設計であった。誌面の3週間後にS&Pは格付けをAAからAA-へ下げ、自由化後の価格競争は中堅・中小に重くのしかかった。同社は1999年に日本生命の傘下に入った。
遺産を守る改革であったこと
"ラッキーなタイミングだった"という言葉から、この改革は始まっている。1996年4月に始めた新創業運動が、たまたま自由化を先回りしたという説明であり、自由化そのものを危機として語る言葉ではない。打ち手は具体的だった。支店制への移行、自立できない代理店の切り離し、関西を厚くする地域配分と、いずれも費用と人の配置に直接手を入れた。ただし、AAという格付けを"先輩の遺産"への評価と読み、足りないのは成長力だと診断したとき、改革の設計は蓄積を守る側へ寄った。
蓄積への評価は、長くはもたなかった。誌面の3週間後にS&Pは格付けをAAからAA-へ下げ、自由化後の自動車保険では最大手の値下げが中堅・中小を直撃した。財産と呼んだ代理店網の内側では、四国支店で無登録募集が1985年から放置され、2001年3月に業務停止処分として表に出た。それでも、全国一律を捨てて関西を厚くする選択そのものは、中堅損保の解として筋が通っている。単独で持ちこたえられる時間が短かったのは、規模が引受能力と価格競争力を決めるという産業の側の条件による。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
同じ問いに直面した会社
- 企業の歴史 : 明治百年(1968年)「同和火災海上保険」
- 金融庁(2001年3月13日)「日本火災海上保険(株)、同和火災海上保険(株)及び日新火災海上保険(株)に対する行政処分について」