エクロート氏の改革は、リコール隠しを生んだ隠蔽体質と、血縁・系列にもたれた甘えの構造へ正面から刃を向けた点で、三菱自動車の歴史に一つの断層を刻んだといえよう。クオリティ・ゲートや柏会解散、三菱重工業への発注見直しは、外部から来た経営者であればこそ踏み込めた領域であった。数字の上での黒字化も、少なくとも一時は市場の期待を集めた。
ただし、その黒字が北米の甘い与信という飛び道具に支えられていた事実は、改革が事業の実力の底上げにまでは届いていなかったことをうかがわせる。ブランドの弱さという根の問題に手が回らないまま販売量を追った結果、最高益はわずか半年で巨額赤字へ反転した。荒療治が三菱グループとの距離を広げたことも、後の求心力低下の伏線になったとみられる。改革の成否は、単年度の損益ではなく、その後に三菱自動車がたどった道に照らして測られるべきものといえる。