約3万4,000人——損害保険の初級資格を取った日本生命の営業職員の数が、この参入の元手だった。ニッセイ損害保険は資本金100億円で発足したものの、自動車事故の損害調査網も、育った代理店網も持たずに始まっている。手にしていたのは親会社の顧客接点だけで、伸びる速さは職員が普通資格をどこまで早く取るかに委ねられた。損害保険が成熟市場であることを森口昌司社長自身が認めたうえで、なお販売網の厚みだけで押し通す設計だった。
その設計は、最も当てにしていた団体傷害保険が実質的に閉ざされた時点で狂った。参入の第1陣に並んだ生保のうち、第一生命は損保子会社を売却し、三井生命は営業譲渡している。同じ規制緩和に同じ形で応じながら、続けるか撤退するかで結果が分かれた。分けたのは各社の熱心さではなく、事故が起きてから人と拠点を要する損害保険の費用構造にある。