シスメックス グローバル直販網の構築 血液検査・世界シェア3冠

更新:

時期 1996年6月
当時の社長 家次恒
論点 海外直販網の構築とグローバル成長戦略
何をなぜ決めたか
概要

1996年に経営を継いだ家次恒氏が、機器と試薬を一体で売るリカーリングを武器に、代理店依存から欧州・米州・アジアの自前直販網へ切り替え、25年をかけてシスメックスを血液検査で世界首位へ導いた面的な経営判断。海外売上比率は約9割へ達した。

背景

血球計数器で国内首位に立ったものの、日本市場は人口減と医療費抑制で伸びしろが限られた。世界最大の米国をはじめ海外は代理店任せで、顧客との距離が遠く、機器に紐づく試薬の継続収益も取りこぼしていた。

内容

ドイツ・米国・アジアの代理店を買収して直販へ切り替え、中国など新興国にも現地法人を設立した。ヘマトロジーを軸に血液凝固・尿検査へ品目を拡大し、機器の設置後に続く試薬供給を各地で取り込む体制を世界に広げた。

含意

神戸の中堅が世界首位に立てたのは、直販とリカーリングの掛け算にあった。装置を置くほど試薬が売れる仕組みを世界規模で回し、ヘマトロジー・血液凝固・尿検査で世界シェア首位の3冠と海外約9割の収益構造を築いた。

いつ何が起きたか 5件
筆者の見解
筆者の見解

神戸の中堅が世界首位に立てた理由

この経営の面白さは、成功の順序にある。多くの会社は、良い製品を作ってから売り方を考える。家次恒氏がしたのは、まず売り方を世界仕様へ組み替え、そこに得意の製品と試薬を載せることであった。代理店に委ねれば海外進出は速いが、顧客との距離と継続収益を手放す。あえて時間をかけて各地に直販網を築いたことが、装置を置くほど試薬が売れるリカーリングを世界規模で回す土台になったと推察される。

もっとも、直販網もリカーリングも、単独では首位を約束しない。海外で自前の販社を抱える負担は重く、装置を置いてもらえなければ試薬の継続収益も生まれない。神戸の中堅が世界首位に立てたのは、血球計数という一分野で積んだ技術の信用と、世界のどこでも同じ品質で売り切る仕組みが噛み合ったためといえる。国内で頭打ちになった会社が、市場の外へ答えを探して四半世紀をかけた——その積み重ねが、海外9割という今日の姿を形づくっている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
同じ問いに直面した会社

同じ問いに直面した会社

販路の転換1994年東京エレクトロン海外販売の直販体制への全面転換販売体制のグローバル化と国内依存からの脱却
2017年カルビー越境ECと現地専用工場を軸にした中国市場の攻め直し国内成長の頭打ちに対する海外市場の開拓
1970年マキタ欧州・オセアニア各国への販売子会社網の構築海外販売体制の内製化と地域統括の整備
1996年アリアケジャパン年商の7割にあたる75億円を投じた専用設備への集中投資需要構造の転換を先取りする設備投資
1980年富士通システムエンジニアを前面に立てた営業体制の構築と、その積み上げによる逆転コンピュータ事業の競争戦略
グローバル経営2002年大塚HD自社単独での米国販売を採らず、BMS社との共同商業化で収益源を国内消費財から海外医薬品へ切り替えた重点の転換新薬の海外展開と収益の柱の置き換え
2002年トヨタ自動車市場予測の積み上げではない世界シェア15%を目標に掲げた、海外生産能力の先行拡大国内市場の停滞下での成長目標の設定と海外生産の拡大
2008年タダノ移動機能付き抗重力・空間作業機械への事業領域の集中と、多角化の不採用事業領域の定義と多角化の可否
2009年サンリオ国内物販で収益を上げる会社から、欧米でロイヤリティを取る会社への組み替え海外ライセンス事業への転換とキャラクターの拡充
2009年加賀電子金融危機を「創業以来、最大のチャンス」と読み、M&Aと海外拠点を同時に増やした方針危機下の資本配分と規模拡大
参考文献
出典・参考
  • シスメックス 有価証券報告書(沿革・役員の状況・連結)
  • シスメックス「先駆者に学べ。世界で『シェア1位』の理由を徹底分析」(公式サイト)

免責事項およびポリシー