「商用ISPが存在しない国」でのインターネットイニシアティブ創業

商用インターネット接続が存在しない国で、鈴木幸一氏はなぜ「誰も値段を確かめていない需要」に賭けたか

更新:

時期 1992
意思決定者 鈴木幸一 創業者・社長
論点 事業の創業と商用インターネットの開拓
概要
1992年12月、インターネットを商用で提供する事業者が国内に一社も存在しないなか、鈴木幸一氏らが株式会社インターネットイニシアティブ企画を設立し、日本の商用インターネット接続事業を開いた経営判断。
背景
当時のインターネットは研究機関相互の非営利接続にとどまり、一部の技術者以外にほとんど知られていなかった。接続を商用に開くには市場の未成熟に加え、第二種電気通信事業という規制の枠組みと監督官庁の運用を動かす必要があった。
内容
資本金1,800万円で会社を興し、1993年7月に日本で初めて商用インターネット接続サービスを開始、1994年2月に特別第二種電気通信事業者の登録認可を取得した。「2000年頃には数千万人が利用する」と書いた事業計画書は当初、銀行に相手にされなかった。
含意
日本のインターネット商用化の出発点となり、1999年のナスダック上場や、のちの法人ストック型事業へと展開していった。誰も値段を確かめていない需要をみずから商用に開いた点に、この起業の性格がうかがえる。
筆者の見解

値段の付いていない需要を、誰が最初に開くか

この起業の核心は、技術の新しさそのものよりも、まだ誰も値段を付けていない需要に最初に価格を付け、市場として開いた点にあるとみることができる。研究者のあいだで無償に流れていた接続を、企業が対価を払って使う商材へ置き換えるには、需要の実在を証明する数字も、参照できる先行事例もなかった。銀行に「大ボラ」と退けられた事業計画書は、裏を返せば、その需要がまだ誰の目にも見えていなかったことの証しでもあった。見えない需要に賭ける判断が、のちの国内インターネット産業の入り口を開いたといえる。

もっとも、先駆であることは安泰を意味しなかった。ITバブルの熱狂と反動のなかで資本の独立を一度失い、稼ぎ方をストック型へ組み替える長い作業を経て、ようやく安定した増益と資本の独立を取り戻していった。最初に市場を開いた者が、その市場の主役であり続けられるとは限らない。IIJの歩みは、先行の利と、先行ゆえに背負う試練の両方を映している。値段の付いていない需要を誰が最初に開くのか。その問いは、次のデジタル基盤をめぐる競争のなかで、いまも形を変えて立ち現れているようにみえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

商用ISPという業態が存在しない国

1992年当時の日本には、インターネット接続を商用で提供する事業者が一社も存在していなかった。運用されていたのは、大学や研究機関を相互につなぐJUNETやWIDEといった非営利の研究ネットワークであり、接続の対価を企業から受け取って売るという発想そのものが、まだ市場にも制度にも根づいていなかった。インターネットという言葉さえ、一部の技術者を除いてほとんど知られていない段階であった。海の物とも山の物ともつかない技術に、誰が対価を払って接続するのか。その問いに確かな答えを持つ者は、当時の国内にほとんど見当たらなかった[1][2]

壁は市場の未成熟だけではなかった。電気通信事業は当時、回線設備をみずから保有する第一種と、それを借りて役務を提供する第二種に分かれ、事業を営むには郵政省への登録や許可を要した。研究目的で育ってきたインターネットを商用に開く作業は、この規制の枠組みに前例のない業態を当てはめ、監督官庁の運用を一から動かしていく交渉を避けて通れなかった。技術の壁と制度の壁が二重に立ちはだかるなかで、商用インターネット接続という事業は、需要が見えないまま申請と説得を積み重ねる出発点に置かれていた[3]

決断

「大ボラ」と言われた事業計画書

1992年12月、鈴木幸一氏らは東京都千代田区に株式会社インターネットイニシアティブ企画を資本金1,800万円で設立した。鈴木氏は「2000年頃には数千万人の人が利用している」と書いた事業計画書を手に銀行を回ったが、返ってきたのは「今まで聞いた事のないような大ボラだ」という反応で、まったく相手にされなかったと後年振り返っている。需要の実在を裏づける数字も、参照できる先行事業者の実績もない。誰も値段を確かめていない需要にみずから価格を付け、市場として開く。起業はその賭けから始まった[4][5]

会社は歩みを止めなかった。翌1993年5月に社名から「企画」を外して株式会社インターネットイニシアティブへ改め、同年7月には商用インターネット接続サービスの提供を開始した。日本で初めて、接続の対価を企業から受け取る事業者が現れた。1994年2月には郵政省から特別第二種電気通信事業者としての登録認可を取得し、通信事業者としての法的な足場を固めた。研究のためのインターネットを商用へ転じる試みは、サービスの立ち上げと規制官庁の運用を同時に動かす二正面の作業として進んでいった[6][7]

結果

日本のインターネット商用化の出発点

IIJの創業は、日本のインターネットが研究の道具から社会の基盤へ移っていく過程の出発点にあたる。接続事業は数年で立ち上がり、1999年8月には日本企業として早い段階で米国ナスダック市場にADRを登録し、資本金を70億円規模へ積み増して米国機関投資家からの調達ルートを確保した。国内の資本市場がネットベンチャーに冷ややかだった時代に、成長資金を海外市場から引く選択であった。商用ISPという業態が存在しない国で始めた事業は、10年を待たずに国境を越える資本を呼び込む規模へ育っていた[8]

もっとも、その後の道のりは平坦ではなかった。ITバブル期に合弁で挑んだ通信キャリア、クロスウェイブ コミュニケーションズが2003年に破綻し、IIJはNTTからの増資を受け入れて創業以来の資本的独立をいったん手放した。資本集約的な投資が自社の財務体力を超えた反省から、接続・クラウド・データセンター・MVNOという月々積み上がる法人ストック型へ事業を組み替え、2023年にはKDDIとの資本業務提携でNTTの持分法適用関連会社から外れ、資本の独立を取り戻す。2025年3月期の連結売上高は3,168億円に達し、商用ISPが存在しなかった国で開いた事業は、国内デジタル基盤の一角を占めるまでになった[9][10]

出典・参考
  • インターネットイニシアティブ 有価証券報告書【沿革】
  • インターネットイニシアティブ 有価証券報告書(連結・IFRS)
  • インターネットイニシアティブ 創業30周年記念サイト(https://www.iij.ad.jp/30th/history/)
  • NTT東日本 BizDrive(2025年12月9日)「株式会社インターネットイニシアティブ 代表取締役会長 鈴木幸一氏」(https://business.ntt-east.co.jp/column/bizdrive/koichi-suzuki-iij.html)