『ここで我々は加工ソフトを製造している』という一言で、展示会場は集客の装置から加工ノウハウの収集所へ読み替えられた。6万件のソフトが大型コンピューターに入り、顧客の要求の6割が既存ソフトの手直しで済むという歩留まりは、20年以上にわたって顧客を自社へ呼び寄せてきた直販がなければ出ない数字であった。1990年の転換は新しい商売を思いついたというより、1965年の判断が生んだ副産物に値段をつけた作業であったと推察される。
ただ、この時点でソフトは売上の2割にとどまり、本体は依然として板金加工機の単品販売であった。同じころの同時代誌は、展示会場への来場社数が半分近くに減少したことと、顧客の9割が中小企業という構成を並べて、システム化の市場では力のある顧客を狙う競合と当たると見ていた。ソフトを収益源と呼べるようになるには、2003年の"第2創業"からさらに歳月が必要であった。機械そのもので差がつかなくなったときに何を売るのか、その答えを20年前から手元に貯めていた点に、この転換の実質があったといえる。