決断
1974年に社長となった清水正利氏は、輸出を売上高の30%までとする原則を打ち出した。それを超える需要が見込めれば、現地生産に切り替える。1975年2月の米国でのMAKINO U.S.A. INC.設立に続き、1977年には西独メーカーからの求めに応じて技術供与契約を結んだが、先進工業国へ日本から工作機械の技術を輸出した例はこれが初めてだった。1978年10月にはその西独ハイデンライヒアンドハーベック社に出資し、1981年9月には米国のレブロンド社を買い取って、それまで輸出で応じていた需要を買収先の工場での生産に置き換えた。こうして、輸出に天井を設けた原則は、その後の海外展開を販売網の拡大ではなく現地企業の買収へ向かわせた。
2026年6月 外為法勧告後の自社株買い提案否決
株主提案の条件提案株主 株主1名(氏名・名称の記載なし) 対象の株主総会 第87回定時株主総会(2026年6月23日) 株主提案の議案 第3号議案 自己株式取得の件 取得する株式数の上限 248,938株