牧野フライス製作所の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

1974年に社長となった清水正利氏は、輸出を売上高の30%までとする原則を打ち出した。それを超える需要が見込めれば、現地生産に切り替える。1975年2月の米国でのMAKINO U.S.A. INC.設立に続き、1977年には西独メーカーからの求めに応じて技術供与契約を結んだが、先進工業国へ日本から工作機械の技術を輸出した例はこれが初めてだった。1978年10月にはその西独ハイデンライヒアンドハーベック社に出資し、1981年9月には米国のレブロンド社を買い取って、それまで輸出で応じていた需要を買収先の工場での生産に置き換えた。こうして、輸出に天井を設けた原則は、その後の海外展開を販売網の拡大ではなく現地企業の買収へ向かわせた。

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