豊田佐吉氏は織機の発明家として卓越していたが、共同出資形態による企業化では経営権を維持できず、設立した会社から繰り返し退いた。1918年に独立資本で豊田紡織を設立し、試験工場を自前で持つことでG型織機の実用化に成功、1926年に豊田自動織機の設立に至った。技術の優位と事業の成立は…
豊田自動織機の自動車参入は、G型織機の特許収入と織機事業の利益を原資とした社内プロジェクトとして始まった。喜一郎氏の極秘研究と利三郎氏の資金調達という役割分担のもと開発が進み、戦時体制下の自動車製造事業法を契機に会社分離に至った。既存事業の利益を新規事業の原資とする構造と、事業リ…
朝鮮特需の終焉で繊維機械の需要が長期低迷し、約1,600名の余剰人員が見込まれた。石田退三社長は人員削減ではなく、トヨタ自動車向けの自動車部品・車両組立のOEM生産に参入することで雇用を維持する道を選んだ。繊維機械の人員を自動車に振り分けるという判断は、トヨタグループの企業間関係…
フォークリフトと農機という2つの新規事業は、いずれもS型エンジンの転用という同じ技術的基盤から出発した。しかし、フォークリフトはトヨタ自販の全国販路を活用できた一方、農機はヤンマー等が押さえる農村販路を独自に構築できなかった。技術の転用可能性だけでなく、販路へのアクセスが新規事業…
モータリゼーションの進展に伴うトヨタ自動車の増産需要に応える形で長草工場を新設し、スターレットの委託生産を開始した。売上高の50%近くをトヨタ向け受託生産が占める構造が定着し、豊田自動織機の事業構造はトヨタ自動車の生産計画に連動する形に固定化された。
独キオンがデマティック社を買収しフォークリフトと物流システムの統合提案が可能になったことが、豊田自動織機の危機感を喚起した。バスティアン社とVanderlande社の連続買収で物流ソリューション世界4位に浮上し、フォークリフト単品からシステム提案への業界構造変化に対応した。eコマ…
エリオットの提案が問うているのは、豊田自動織機の経営判断だけではない。トヨタグループという企業集団が、グループ全体の最適化を追求する過程で、個別企業の少数株主の利益をどこまで犠牲にしてよいのか、という構造的な問いである。自動車事業のROIC平均2.3%という数字は、豊田自動織機が…