豊田自動織機の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

祖業が細るたび、他社向けの生産で工場を埋め直してきた。1937年に自動車部をトヨタ自動車工業として分離独立させたのに続き、朝鮮特需が終わって繊維機械が長期の不況に沈むと、紡機・織機に従事する約1,600名が余剰になった。両社社長を兼ねた石田退三氏は人員削減を選ばず、1952年12月にトヨタ向けS型エンジンの製造へ着手している。1954年に参入した農業機械は需要の頭打ちで行き詰まったが、1956年3月に始めたフォークリフトは残り、2000年6月にはスウェーデンのBTインダストリーズを買収して産業用運搬機器の世界首位に立った。祖業の縮小を他社向けの受注で吸収し続けたことが、受託生産と産業車両という二つの収益源を並べた。

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