重要な意思決定
19563月

新規事業による多角化

背景

繊維機械の長期低迷とS型エンジンの転用構想

1956年頃、豊田自動織機は繊維機械に次ぐ主力事業の模索を本格化させた。朝鮮特需の終焉以降、織機・紡機の需要は長期的に低迷しており、余剰人員の吸収先として自動車のOEM生産だけでは不十分であった。繊維機械に代わる自社製品としての新規事業が求められていた。

新規事業の立案において軸となったのは、トヨタ自動車向けに生産していた「S型エンジン」の転用であった。S型エンジンを産業車両に転用する「フォークリフト」と、農業車両に転用する「耕うん機(トラクター)」の2事業が候補に挙がった。いずれも既存のエンジン製造技術と鋳物技術を活用でき、繊維機械メーカーとしての生産基盤を転用しやすい領域であった。

決断

フォークリフトと農業機械への同時参入

1956年3月にフォークリフトの生産を開始した。参入のきっかけは、トヨタ自動車の工場でフォークリフトを活用したところ生産性が向上したことにあった。試作車をトヨタ自動車の工場で実際に使用し、現場のニーズを反映した製品開発を行った。販路については、産業車両向けの販売網を持たなかったため、トヨタ自動車販売の全国販路に委託する方針を採った。

1957年10月には耕うん機の販売を開始し、農業機械にも参入した。しかし、農機市場ではヤンマー、クボタ、井関農機、コマツといった先発企業がすでに全国の農村に販路を確保しており、豊田自動織機は後発として販路構築に苦戦した。フォークリフトがトヨタ自販の既存販路を活用できたのに対し、農機では独自に農村へ販路を築く必要があり、この販路の有無が2事業の明暗を分けた。

結果

フォークリフトの定着と農機撤退、事業構造の転換

フォークリフトは1960年に専門工場を稼働させ、1960年代には国内シェア1位を確保した。1977年時点で国内シェア38%に達し、豊田自動織機の主力事業として定着した。一方、農機は売上の低迷が続き、1969年に撤退を決定した。同じS型エンジンの転用から始まった2事業は、販路の確保という一点で対照的な結果となった。

1960年代を通じて、豊田自動織機の売上構成は大きく変化した。トヨタ自動車向けの下請け生産が売上高の50%以上を占め、フォークリフトが自社製品の柱として成長した。織機・紡機の売上は低迷を続け、祖業の不振をフォークリフトと自動車OEMがカバーする形となった。創業時の繊維機械メーカーから、産業車両と自動車部品を主力とする企業への業態転換が、この10年間で実質的に完了した。