重要な意思決定
長草工場を新設
背景
モータリゼーションの進展とトヨタ自動車の増産需要
1966年頃から日本国内ではモータリゼーションが本格化し、トヨタ自動車の大衆乗用車の生産量が急増した。カローラをはじめとする大衆車の需要拡大に対し、トヨタ自動車単独では増産に対応しきれない状況が生まれた。1950年代に共和工場でエンジン製造・車両組立のOEM生産を開始していた豊田自動織機は、すでにトヨタ自動車の下請け生産で売上高の相当部分を占めるに至っていた。トヨタ自動車の増産に応じて受託生産量を拡大するためには、共和工場だけでは生産能力が不足していた。
1967年5月、豊田自動織機は愛知県大府市に自動車組立工場「長草工場」を新設した。共和工場に続くトヨタ自動車向けの受託生産拠点として位置づけられ、乗用車の組立ラインが整備された。1978年にはトヨタ自動車の車種「スターレット」の製造を長草工場で開始し、以後は特定車種の委託生産に従事する専用工場としての性格を強めた。
決断
下請け企業としての事業構造の固定化
長草工場の新設により、1970年代を通じて豊田自動織機はトヨタ自動車向けの自動車関連品で売上を拡大した。売上構成においてもトヨタ向け受託生産が全社の50%近くを占めるようになり、豊田自動織機は「トヨタ自動車の下請け企業」としての特色を一段と濃くした。フォークリフトという自社製品の柱を持ちつつも、売上の過半をトヨタ自動車への依存で成り立たせる事業構造が、長草工場の稼働によって固定化された。
繊維機械の低迷から始まった自動車OEM生産への転換は、共和工場の新設で起点を打ち、長草工場の新設で構造として定着した。トヨタグループの中で「織機メーカー」から「自動車組立の受託企業」へと実態が変わる過程において、長草工場は生産能力の拡大だけでなく、トヨタ自動車との関係をより不可逆的なものにする設備投資であった。