利益率2割の事業も捨てた高付加価値への集中
1989年実施営業利益率20%の祖業も、売上の3割を占めた大口顧客も手放してまで、なぜ滝崎武光社長は高利益率の事業だけに絞ったのか
- 概要
- 1982年、キーエンス(当時リード電機)は営業利益率20%の祖業だった自動線材切断機の製造・販売権を他社へ譲渡し、翌83年にかけては売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注を意図的に絞った。いずれも不採算ではなく黒字の事業でありながら、営業利益率40%のFAセンサーへ資源を集中させるために手放した。1989年、日経ビジネスはこの「利益率2割の事業も捨てた」経営を、上場企業でも屈指の高収益体質を生んだ判断として紹介した。
- 背景
- 滝崎武光氏は独立後に興した2社をいずれも倒産させ、3度目の起業でリード電機を興した。会社を潰さず永続させるにはどうすればよいかという問いから、最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求へ行き着いた。売上規模の拡大よりも利益率を最優先する判断基準は、2度の失敗の教訓から生まれた。
- 内容
- 切断機は電線メーカー向けの地味な産業機械だが、営業利益率20%の立派な収益源で売上の約1割を占めた。それでも滝崎氏は、商品内容が異なり開発にも無駄が生じる点、そして営業利益率40%のFAセンサーへ集中した方が収益力が強まる点を挙げて売却した。同じころ、1社で売上の3割近くを占めた大口顧客への依存も、経営の安定を損なうとして受注を絞った。
- 含意
- 2度の業容縮小はFAセンサーの商品開発の幅を広げ、多様な業種へ売れる製品群を育てる契機となった。取引先は3万5000社に達し、特定業種の設備投資の変動によるセンサー需要の波を受けにくい収益構造へ変わった。1981年3月期以降は売上高経常利益率35%以上を保ち、黒字でも利益率が低ければ切るという原則が、以後のキーエンスの高収益を規定する土台となった。
黒字を切る規律という含意
この判断が異例なのは、赤字事業ではなく黒字事業を、それも上場を控えた小さな企業が、売上の1割と3割を自ら手放した点にある。多くの企業は、これだけ利益が出ているという理由で低採算の部門を残す。滝崎氏が後年、大企業には採算の悪い事業部を情実で切れない役員が多いと語ったのは、その裏返しだった。黒字でも利益率が低ければ切るという規律を創業10年で実行したことが、以後の高収益を支える背骨となった。
もっとも、利益率だけを絶対の基準に据える経営には代償もあった。売上の拡大を自ら抑える判断は、規模の経済や事業の多角化を後回しにする。キーエンスがその後も設備を持たず、標準品と直販に絞って高い利益率を守り続けたのは、この1982年の選別の延長線上にある。低採算を許さない規律は高収益を生む一方で、利益率の見えない新規事業へ踏み込みにくい保守性とも背中合わせであり、その緊張は高収益企業となった現在まで残る。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
2度の倒産が生んだ利益率最優先の判断基準
滝崎武光氏は工業高校を出て外資系のプラント制御機器メーカーで資金を貯め、独立して電子機器メーカーを興したが、これが失敗して解散に追い込まれた。続いて設立した機械の組み立て下請け会社も倒産させた。3度目の起業で1972年に興したリード電機で、頭にあったのは、会社を潰さずに発展させる方法と、理想の企業経営とは何かという問いだった。そこから得た結論が、最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求だった[1][2]。
売上規模より利益率を優先する経営理念
滝崎氏が掲げた経営理念は「会社を永続させる」「最小の資本と人で最大の経済効果(付加価値)を上げる」というもので、経営者なら誰もが説く経営のイロハに近い。しかし、それをあくまで追求し実現させる点に滝崎流の特徴があった。売上高10億円に満たない小さな企業であれば業容拡大を第一に掲げそうなところを、滝崎氏は利益率を判断の最上位に据えた[3]。
決断
営業利益率20%の祖業を、黒字のまま手放す
1982年、キーエンスは創業以来の事業だった自動線材切断機の製造・販売権をそっくり他社へ譲渡した。切断機は電線メーカー向けの商品で、不採算どころか営業利益率20%の立派な収益源であり、売上の約1割を占めた。それでも滝崎氏は、営業利益率40%のFAセンサーに比べて利益率が低く、商品内容も異なって開発に無駄が生じる点を挙げ、センサーへ特化した方が収益力は強まると判断した[4][5]。
売上の3割を占めた大口顧客への依存を、自ら断つ
同じころ、82年から83年にかけては得意先の大手機械メーカーからの受注を意図的に絞った。新しい注文にも「開発が難しい」「その値段では原価が合わない」と理由をつけて断ったという。その1社が全体の売上の3割近くを占めるに至り、特定の会社への過度な依存は経営の安定を損なうと考えたためである。取引そのものに問題があったわけではなく、リスクを分散するための選別だった[6][7]。
結果
取引先3万5000社と、35%超の経常利益率
2つの業容縮小は、結果的にFAセンサーの商品開発の幅を広げ、多様な業種へ売れる製品を生む契機となった。取引先は3万5000社に達し、特定業種の設備投資の変動によるセンサー需要の波を受けにくい収益構造へ変わった。1981年3月期以降、売上高経常利益率35%以上を保ち、上場から間もない時期にすでに上場企業でも上位の収益性を実現した[8][9]。
滝崎氏は、これらを英断と誇る様子を見せなかった。大手機械メーカーの仕事を絞った際には「なぜ優先取引の仕事を断るのか」という社内の反対もあったが、本人は英断ではなくむしろ当然のことだったと語った。のちには、大企業には採算の悪い事業部でも「これをやめるのはあいつに悪い」と情実で残す例があるとし、業績に価値観を置くオーナー経営との違いを説いた。黒字でも利益率が低ければ切るキーエンスの判断は、その対極にある選択だった[10][11]。
- 日経ビジネス 1989年5月22日号「滝崎武光社長 キーエンス 利益率2割の事業も捨てた」(日経BP社)
- 日経ビジネス 1997年3月3日号「編集長インタビュー 滝崎武光氏[キーエンス社長]大企業の悪い面に学ぶ 将来考えぬ役員が規律乱す」(日経BP社)