この創業から見えてくるのは、二度の倒産を経た滝崎武光氏が、売上の大きさではなく利益率を事業の物差しに選んだ経緯である。数億円の金型を守るセンサーを8万5000円で売る値付けは、原価の積み上げではなく顧客が受け取る効果から価格を決める発想に立っており、資金の乏しい会社が薄い利益では生き残りにくいという二度の失敗の実感と地続きのものだっただろう。地味な線材切断機で確保した利益を元手にセンサーを育てた初期の運び方にも、同じ物差しが働いていたと読める。
もう一つ読み取れるのは、事業の主力を利益率で選び直した1982年の判断が、創業から10年という早い時期に置かれていたことである。営業利益率20%となお高い水準にあった祖業を、それより高いセンサーとの比較だけを理由に譲渡した選択は、利益率を最上位に据える方針を言葉ではなく実際の事業の取捨で示すものだったといえる。直販と専業に絞って設備の負担を抑えた事業構造も、上場後に90%を超えた自己資本比率も、その方針の延長線上に並んでいるとみられる。高収益企業として知られる後年のキーエンスの輪郭は、創業から上場までの十数年のうちに引かれていた。