日本電子の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

輸入品の代わりから始めた会社が、代わりの利かない装置に行き着いた。1952年に高周波焼入装置で産業機器、1956年に磁気共鳴装置で分析機器、1972年に生化学自動分析装置で医用機器へ参入し、電子顕微鏡を含む4つの製品群を持つに至る。1973年4月にはオーナー主導の意思決定を合議制へ開き、三事業部制へ移行する。第1次石油危機のあとは売上に人員が見合わないと判断し、1974年3月末に2,568名だった従業員を翌年3月末に1,900名とする計画を決めた。2019年6月に就任した大井泉社長は半導体計測へ投資を集中し、2021年10月には武蔵村山製作所を開所している。EUV世代のフォトマスクを描くマルチビーム電子線描画装置をオーストリアのIMSと共同開発したことが、大学へ装置を納めてきた会社の業績を半導体メーカーの設備投資に結び付けた。

  • 1973年4月 常務会の廃止と合議制の導入
    業績の推移
    197219731978
    売上高(億円)133145163
    営業利益率(%)15.813.810.4

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