日本電子 常務会の廃止と合議制の導入 経営機構改革と三事業部制への移行

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時期 1973年4月
論点 経営体制と多角化
何をなぜ決めたか
概要

1973年、電子顕微鏡の専業として急成長した日本電子が、創業者・風戸健二社長の主導で常務会の廃止と合議制の導入、三事業部制への再編、65歳社長定年制などの経営機構改革に踏み切った経営判断。

背景

急成長に伴い技術力と管理力の格差や後継・労使の課題が表面化し、主力の透過電子顕微鏡も成熟期に入っていた。オーナー主導の経営がそのまま通用する規模を超えつつあった。

内容

常務会を廃して社長議長の合議制へ、経営本部を管理・人事本部に再編、理科学機械・医用・ビデオの三事業部制へ移行。65歳社長定年制と取締役の計画的養成も掲げ、官需型から民需型への多角化を見据えた。

含意

成功した創業者が自らの求心力に依存した経営をあえて手放そうとした点に特徴がある。直後の石油危機で減量経営を迫られ、多角化の一部は不発に終わったが、多角化を推進する経営指針はのちの経営に継承された。

いつ何が起きたか 5件
筆者の見解
筆者の見解

規模より、強みをどの事業構成で活かすか

この経営判断の核心は、財務的な危機への対応ではなく、急成長そのものが生んだ組織のひずみへ、創業者が自ら踏み込んだ点にある。電子顕微鏡という特殊市場で世界有数の地位を確立した成功体験は、裏を返せば一人の創業者の技術観と求心力に強く依存する体質でもあった。風戸健二社長が常務会を廃して合議制を敷き、三事業部制と社長定年制を同時に打ち出したのは、その依存をみずから解体し、次の成長段階に耐える組織へ作り替えようとする試みだったとみられる。好調なうちにワンマン経営の限界へ手を入れた点に、ほかの事業承継とは異なる性格がうかがえる。

もっとも、攻めの体制づくりは直後の石油危機と重なり、減量経営を迫られた。民需・大衆市場をねらった多角化の一部も実を結ばず、改革がそのまま成果へ直結したとは言いがたい。それでも、理科学計測を軸に医用・産業を統括する多軸構成と、合議による意思決定という骨格は以後に残り、リーマンショック後の再建や半導体計測への集中投資といった後年の転換点でも、同じ判断軸が繰り返し問われていく。規模を追うより、自社の強みをどの事業構成で活かすか——この決断は、その問いを早い時期に経営の中心へ据えた点で示唆に富む。

Yutaka Sugiura, 2026年6月

業績の推移
同じ問いに直面した会社

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取締役会改革1978年積水ハウス全国65営業所を独立採算の「企業内企業」にした組織改革営業組織の分権と評価制度
2004年ユニ・チャーム「脱・指示待ち」を掲げ、第2の創業と位置づけた組織改革経営体制と組織運営
1973年ホンダ創業者2人の同時引退と、次代への経営の引き渡し事業承継と組織経営への移行
2007年三和ホールディングス事業を子会社へ移す会社分割と、純粋持株会社体制への移行グループ経営の意思決定と事業運営の分離
1969年安宅産業人事を通じて創業家の支配を残したことによる独立路線の選択創業家の経営関与とガバナンス
隣接領域への展開2003年東北電力東北インテリジェント通信を含む2社の傘下入れによるグループ事業の再編電力自由化下のグループ事業領域と連結経営
1974年セブン&アイHD米国から持ち帰った小型店をフランチャイズ方式で広げる展開新規事業と業態の選択
1974年三和ホールディングス合併を機としたシャッター専業から建材総合メーカーへの脱皮製品構成と成長市場の選び直し
1974年カシオ計算機デジタル電子腕時計での時計事業への参入と、事業領域の拡大電卓の電子技術の隣接市場への展開
1974年ファナックNC装置の部品供給から自社開発の最終製品へ広げる立ち位置の転換部品供給から最終製品への参入
参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 1973年5月14日号 ケーススタディ(日経マグロウヒル社)
  • 日本電子 日本電子三十五年史(日本電子, 1986)
  • 会社年鑑(1976年版)

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