キーエンス の歴史

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滝崎武光氏の三度目の起業とリード電機

創業 1972年
創業者 滝崎武光
創業地 兵庫県伊丹市
創業
1972年3月、独立して起こした二つの会社をいずれも倒産で失った滝崎武光氏が、27歳で兵庫県伊丹市に自動線材切断機の商いを起こした。電線メーカーの製造現場で使う自動線材切断機から始め、1974年5月に兵庫県尼崎市でリード電機株式会社として法人化する。個人創業から株式会社化まで2年2カ月を要した。1973年にはプレス加工で金型が破損する課題に着目し、磁気で金属板の二枚送りを非接触で検出する装置を開発、数億円の金型を守る機械に8万5,000円という値を付けた。原価の積み上げではなく顧客が現場で得る効果を基準に値を決める方針は、この一台で定まっている。1986年にキーエンスへ商号を変更し、1987年10月に大阪証券取引所へ上場した。
決断
作る工程は外へ出し、売る工程だけを内に抱えた。1982年、創業から10年で営業利益率2割の祖業だった線材切断機から撤退し、4割に達するセンサーへ経営資源を集中した。同時に売上高の3割近くを占めていた大手機械メーカーの受注を意図的に絞り、特定先への依存を薄めている。黒字のうちに低利益率の事業から撤退した判断は、当時の中小製造業では異例だった。1995年までには、付加価値の高い2〜3割だけを自社に残して残りを外注するファブレスと、代理店を介さず営業担当が製造現場へ通う直販を組み合わせ、高い粗利益を生む売り方を固めた。工場を持たない構成が、原価ではなく顧客が得る導入効果で値を決める余地を作った。
現況
売上の51%が営業利益として残る。2026年3月期の連結売上高は1兆1,693億円、営業利益5,958億円、親会社株主に帰属する当期純利益4,452億円で、売上総利益率は83.0%であった。セグメントは分けておらず、センサー・測定器・画像処理機器・制御機器・ビジネス情報機器を電子応用機器の単一区分で扱う。連結従業員は1万2,784人と10年前の5,299人から2.4倍に増え、同期の平均給与は2,178万円である。1991年には飛び抜けた営業利益を社員へ厚く還元し、月ごとに営業利益の一定割合を全社員へ分配する仕組みが定着した。上場から38年で株式市場から調達したのは公募増資を含めて601億円にとどまり、工場も販売代理店も持たない構成が、外部資本をほとんど使わずに売上を1兆円へ伸ばした。
競合
比較される場所には製品を置かない。計測制御機器や自動化用測定機器は製品ごとの市場が数十億円と小さく、キーエンスはそこで市場を作って価格を決める側に立った。1983年にはリードスイッチを応用したレベルセンサーで30%のシェアを握り、国産機の先頭に出ている。顧客ごとの特注品を受けず標準品に絞るため、仕様の作り込みで競う場面にも入らない。一方、海外は拠点を敷いてから売上が付くまでに20年を要した。1985年3月の米国現地法人を皮切りに拠点を置いたが、2006年3月期の地域別売上は日本872億円に対し北米80億円・その他118億円で、海外売上比率が5割を超えたのは2014年度である。数十億円の市場を一社で取る積み上げ方が、規模を追わずに売上1兆円に達する構成を作った。
キーエンス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 二度の倒産を経てセンサー専業へと転換を遂げた創業期 (1972年〜)

二度の倒産を経た三度目の起業による自動線材切断機事業の立ち上げ

滝崎武光氏は1945年に生まれ、1964年に兵庫県立尼崎工業高校を卒業[1]した後、外資系のプラント制御機器メーカーで電子制御を学んだ[2]。独立して興した電子機器メーカーは解散に追い込まれ、続いて設立した機械関係の組み立て下請け会社も倒産[3]させた。1972年3月、27歳の滝崎氏は三度目の起業として兵庫県伊丹市でリード電機を個人創業[4]し、自動制御機器と電子応用機器の開発、製造販売に着手[5]した。祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機[6]で、電子制御による小型化を武器に、古河電工や住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入[7]した。

    • [1]滝崎武光氏 1945年生まれ・1964年 尼崎工業高校卒業
  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [2]1964年 兵庫県立尼崎工業高校卒、外資系プラント制御機器メーカーなどを経て1972年にリード電機を創業
    • [3]独立して創業した電子機器メーカーは解散、続いて設立した機械関係の組み立て下請け会社も倒産
    • [6]祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機
    • [7]電子制御による小型化で古河電工・住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1972年3月 兵庫県伊丹市においてリード電機を創立
    • [5]創業時の事業目的は自動制御機器・電子応用機器の開発、製造販売

祖業の自動線材切断機は電線メーカーの製造現場で使う地味な産業用機械[8]だったが、営業利益率は20%に達した[9]。1973年4月には工場自動化用の各種センサを開発[10]し、製造販売を始めた。1974年5月、滝崎氏は『産業界の合理化、省力化に対する非常に大きな需要に応えるため、株式会社組織に改組』[引用元][11](証券アナリストジャーナル 1987年12月号)し、兵庫県尼崎市にリード電機株式会社を設立[12]した。個人創業から株式会社化までは2年2カ月[13]を要した。会社を潰さず永続させるにはどうすればよいかという問いから、滝崎氏は最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求[14]へ行き着き、売上規模の拡大よりも利益率を優先する判断基準[15]を据えた。

  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [8]切断機は電線メーカー向けの地味な産業機械で売上の約1割
    • [9]自動線材切断機(祖業)の営業利益率 20%
    • [14]会社を永続させる問いから最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求へ
    • [15]売上規模の拡大より利益率を最優先する判断基準(2度の失敗の教訓)
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [10]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
    • [12]1974年5月 株式会社に改組し兵庫県尼崎市にリード電機株式会社を設立
    • [13]個人創業1972年3月から株式会社化1974年5月まで2年2カ月
    • [11]滝崎武光氏の発言(株式会社組織への改組の理由)
    • [1]滝崎武光氏 1945年生まれ・1964年 尼崎工業高校卒業
  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [2]1964年 兵庫県立尼崎工業高校卒、外資系プラント制御機器メーカーなどを経て1972年にリード電機を創業
    • [3]独立して創業した電子機器メーカーは解散、続いて設立した機械関係の組み立て下請け会社も倒産
    • [6]祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機
    • [7]電子制御による小型化で古河電工・住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入
    • [8]切断機は電線メーカー向けの地味な産業機械で売上の約1割
    • [9]自動線材切断機(祖業)の営業利益率 20%
    • [14]会社を永続させる問いから最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求へ
    • [15]売上規模の拡大より利益率を最優先する判断基準(2度の失敗の教訓)
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1972年3月 兵庫県伊丹市においてリード電機を創立
    • [5]創業時の事業目的は自動制御機器・電子応用機器の開発、製造販売
    • [10]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
    • [12]1974年5月 株式会社に改組し兵庫県尼崎市にリード電機株式会社を設立
    • [13]個人創業1972年3月から株式会社化1974年5月まで2年2カ月
    • [11]滝崎武光氏の発言(株式会社組織への改組の理由)

トヨタ自動車向け金属二枚送り検出器の開発とセンサー事業への本格参入

1973年、滝崎氏はプレス加工の現場で金型が破損する課題に着目[16]し、磁気を利用して非接触で金属板の二枚送りを検出する金属板二枚送り検出器[17]を開発した。数億円規模の金型を守るセンサーに8万5000円という単価[18]を付け、原価積み上げではなく顧客が得る導入効果を基準に価格を決める付加価値価格[19]の方針を据えた。製品はトヨタ自動車への採用を皮切りに、日産自動車、三菱自動車工業、本田技研工業[20]など主要自動車メーカーへ広がった。1977年時点の品揃えは、この検出器のほか微小位検出スイッチ、D.F DETECTOR、金属片通過確認スイッチ、継目検出器[21]で、いずれも金属を非接触で捉える用途に集中していた。滝崎氏は『他社にない製品なので、商社、代理店を通じてPRすると、当社製品の価値がうまく顧客に伝わらない』[引用元][22](証券アナリストジャーナル 1987年12月号)と述べ、創業時から最終ユーザーへ直接販売する体制[23]を敷いた。

  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
    • [17]金属板二枚送り検出器は磁気を利用し非接触で金属板の二枚送りを検出。プレス加工で金型を壊すことを防ぐ用途
    • [23]創業時から最終ユーザーへ直接販売
  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [18]金属2枚送り検出器の単価 約8万5000円
    • [19]原価積み上げではなく顧客が得る導入効果を基準に価格を決める付加価値価格
    • [20]トヨタ採用を皮切りに日産・三菱自工・本田技研など主要自動車メーカーへ拡大
    • [21]1977年時点の主な製品は微小位検出スイッチ・金属板2枚送り検出器・D.F DETECTOR・金属片通過確認スイッチ・継目検出器
    • [22]滝崎武光氏の発言(代理店を通すと製品価値が顧客に伝わらない)

1982年、滝崎氏は営業利益率20%の祖業だった自動線材切断機[24]の製造・販売権を他社へ譲渡[25]した。切断機は売上の約1割を占める黒字事業[26]だったが、商品内容が異なるため開発に無駄が生じる点と、営業利益率40%のFAセンサーへ集中した方が収益力が強まる点[27]を理由に手放した。翌1983年にかけては、1社で売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注[28]も、経営の安定を損なうとして意図的に絞った。二度の業容縮小はセンサーの商品開発の幅を広げ、取引先は3万5000社に達した[29]。1981年3月期以降、同社は売上高経常利益率35%以上を保った[30]

  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [24]1982年 祖業の切断機事業から撤退しセンサに集中投資
    • [25]自動線材切断機の製造・販売権を他社へ譲渡
    • [26]切断機は売上の約1割を占める黒字事業
    • [27]売却理由は商品内容の相違による開発の無駄と、営業利益率40%のFAセンサーへの集中
    • [28]1983年にかけて1社で売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注を意図的に絞る
    • [29]2度の業容縮小で商品開発の幅が広がり取引先 3万5000社
    • [30]1981年3月期以降 売上高経常利益率 35%以上
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
    • [17]金属板二枚送り検出器は磁気を利用し非接触で金属板の二枚送りを検出。プレス加工で金型を壊すことを防ぐ用途
    • [23]創業時から最終ユーザーへ直接販売
  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [18]金属2枚送り検出器の単価 約8万5000円
    • [19]原価積み上げではなく顧客が得る導入効果を基準に価格を決める付加価値価格
    • [20]トヨタ採用を皮切りに日産・三菱自工・本田技研など主要自動車メーカーへ拡大
    • [24]1982年 祖業の切断機事業から撤退しセンサに集中投資
    • [25]自動線材切断機の製造・販売権を他社へ譲渡
    • [26]切断機は売上の約1割を占める黒字事業
    • [27]売却理由は商品内容の相違による開発の無駄と、営業利益率40%のFAセンサーへの集中
    • [28]1983年にかけて1社で売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注を意図的に絞る
    • [29]2度の業容縮小で商品開発の幅が広がり取引先 3万5000社
    • [30]1981年3月期以降 売上高経常利益率 35%以上
    • [21]1977年時点の主な製品は微小位検出スイッチ・金属板2枚送り検出器・D.F DETECTOR・金属片通過確認スイッチ・継目検出器
    • [22]滝崎武光氏の発言(代理店を通すと製品価値が顧客に伝わらない)

直販体制と標準品特化、付加価値価格という三つの経営原則の確立

創業期に定めた三つの原則が以後の経営の根幹となり、第一は代理店を介さず営業担当が顧客の製造現場へ直接足を運ぶ直販[31]、第二は個々の顧客向けの特注品ではなくニーズを集約した標準品に絞る品揃え[32]、第三は原価ではなく顧客が得る導入効果を基準とする付加価値価格[33]である。計測制御機器や自動化用測定機器の市場規模はそれぞれ数十億円程度と小さく、同社は各製品で市場を創造して高いシェアを握り、プライスリーダーの位置[34]を占めた。1983年には『電子機器、計測器の大手企業をしのぐ競争力を持ち、とくにリードスイッチを応用したレベルセンサーでは30%のシェア』[引用元][35](日経産業新聞 1983年12月1日)を得て、国産レベルセンサーで首位に立った[36]

    • [31]代理店を介さない直販(滝崎武光氏の発言で確認)
    • [32]個々のユーザーのニーズに応じた製品ではなくニーズを集約化したものを製品化
    • [34]計測制御機器・自動化用測定機器の市場規模は数十億円程度で各製品が市場を創造しプライスリーダーの位置
  • 日経ビジネス(1995年1月16日)
    • [33]原価ではなく導入効果に見合う価格を付ける付加価値価格
  • 日経産業新聞(1983年12月1日)
    • [35]1983年 リードスイッチ応用レベルセンサーで30%のシェア・国産レベルセンサーの先頭
    • [36]1983年12月時点で国産レベルセンサーの先頭に立つ(記事見出し)

製品群の拡大は段階を追って進み、1980年4月に光電センサの分野へ参入[37]した。1983年4月には電子部品業界や家電業界向けに光ファイバー式のセンサを開発して本格進出[38]を果たし、磁気センサと光電センサという二本の主力を揃えた[39]。1985年3月にはアメリカに現地法人KEYENCE CORPORATION OF AMERICAを設立[40]し、同年9月には大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社を設立[41]した。ただし自社では具体的な生産を行わず[42]、ノウハウが鍵を握る約25%の製品だけを子会社で作り、残る75%は協力会社へ委託した。1984年11月には本社を大阪府高槻市へ移し[43]、1986年には半導体レーザーによるセンサ、1987年にはプログラマブルコントローラの販売を始めた。

    • [37]1980年(昭和55年)4月 光電センサの分野へ参入
    • [38]1983年(昭和58年)4月 電子部品業界・家電業界向けに初の光ファイバー式センサを開発し光電センサ分野へ本格進出
    • [39]この時期に主要製品群である磁気センサと光電センサが揃う
    • [42]同社は具体的生産を行わず、生産子会社を含めた外注先に生産を委託
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [40]1985年3月 アメリカに現地法人KEYENCE CORPORATION OF AMERICAを設立
    • [41]1985年9月 大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社(現キーエンスエンジニアリング)を設立
    • [43]1984年11月 本社を大阪府高槻市に移転

1986年10月、ブランドと商号の統一を図るため、社名をリード電機から株式会社キーエンスへ変更[44]した。1979年9月の東京営業所開設[45]を皮切りに営業所を全国へ広げ、より多くのユーザーへ直接営業できる販売網を整えた[46]。本社を置いていた大阪府吹田市の江坂地区[47]は、地下鉄で新幹線の新大阪駅まで5分という立地に研究開発型の若い企業が集まり、『ベンチャービジネスのメッカ』[48](日経産業新聞 1984年10月5日)と呼ばれた。1986年3月期の売上高は60億8800万円で前期から44.1%伸び[49]、売上高営業利益率は39.4%だった[50]

  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [44]1986年10月 ブランドと商号の統一を図るため社名を株式会社キーエンスに変更
    • [47]1981年6月 本社を大阪府吹田市に移転(1984年11月に高槻市へ移転するまで吹田市が本社所在地)
    • [45]1979年(昭和54年)9月 関東地方の販売拠点として東京営業所(東京都目黒区)を設置
    • [46]営業所を全国的に展開し、より多くのユーザーに直接営業できる販売網を整備
    • [49]1986年3月期(昭61.3期)売上高 6,088百万円・前期比44.1%増
    • [50]昭61.3期の売上高営業利益率 39.4%(翌昭62.3期は34.7%へ4.7ポイント低下)
  • 日経産業新聞(1984年10月5日)
    • [48]江坂地区は「地下鉄で新幹線の新大阪駅までわずか5分」の立地に研究開発型の若い企業が集まり「ベンチャービジネスのメッカ」と呼ばれた
    • [31]代理店を介さない直販(滝崎武光氏の発言で確認)
    • [32]個々のユーザーのニーズに応じた製品ではなくニーズを集約化したものを製品化
    • [34]計測制御機器・自動化用測定機器の市場規模は数十億円程度で各製品が市場を創造しプライスリーダーの位置
    • [37]1980年(昭和55年)4月 光電センサの分野へ参入
    • [38]1983年(昭和58年)4月 電子部品業界・家電業界向けに初の光ファイバー式センサを開発し光電センサ分野へ本格進出
    • [39]この時期に主要製品群である磁気センサと光電センサが揃う
    • [42]同社は具体的生産を行わず、生産子会社を含めた外注先に生産を委託
    • [45]1979年(昭和54年)9月 関東地方の販売拠点として東京営業所(東京都目黒区)を設置
    • [46]営業所を全国的に展開し、より多くのユーザーに直接営業できる販売網を整備
    • [49]1986年3月期(昭61.3期)売上高 6,088百万円・前期比44.1%増
    • [50]昭61.3期の売上高営業利益率 39.4%(翌昭62.3期は34.7%へ4.7ポイント低下)
  • 日経ビジネス(1995年1月16日)
    • [33]原価ではなく導入効果に見合う価格を付ける付加価値価格
  • 日経産業新聞(1983年12月1日)
    • [35]1983年 リードスイッチ応用レベルセンサーで30%のシェア・国産レベルセンサーの先頭
    • [36]1983年12月時点で国産レベルセンサーの先頭に立つ(記事見出し)
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [40]1985年3月 アメリカに現地法人KEYENCE CORPORATION OF AMERICAを設立
    • [41]1985年9月 大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社(現キーエンスエンジニアリング)を設立
    • [43]1984年11月 本社を大阪府高槻市に移転
    • [44]1986年10月 ブランドと商号の統一を図るため社名を株式会社キーエンスに変更
    • [47]1981年6月 本社を大阪府吹田市に移転(1984年11月に高槻市へ移転するまで吹田市が本社所在地)
  • 日経産業新聞(1984年10月5日)
    • [48]江坂地区は「地下鉄で新幹線の新大阪駅までわずか5分」の立地に研究開発型の若い企業が集まり「ベンチャービジネスのメッカ」と呼ばれた

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キーエンスの沿革1972〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1972〜1986年二度の倒産を経てセンサー専業へと転換を遂げた創業期キーエンス創業——リード電機の自動線材切断機から付加価値価格のセンサー専業へ

1972年3月、二度の起業に失敗した27歳の滝崎武光氏が兵庫県伊丹市でリード電機を個人創業した。祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機で、電子制御による小型化で古河電工・住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入した。1973年4月にはトヨタ向けの金属二枚送り検出器を開発し、原価ではなく顧客が得る導入効果で値付ける付加価値価格の原型を据えた。1974年5月に尼崎市で株式会社化し、1987年10月に大阪証券取引所第二部へ上場した。

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★★★
滝崎武光交流磁界センサに参入★★
滝崎武光リード電機を設立
滝崎武光光学センサーの販売を開始
滝崎武光センサに集中投資。切断機から事業撤退★★
滝崎武光商号をキーエンスに変更
1987〜2021年大阪証券取引所上場と高収益モデルの完成を迎えた成長期滝崎武光大阪証券取引所第2部に株式上場
滝崎武光利益率2割の事業も捨てた高付加価値への集中

1982年、キーエンス(当時リード電機)は営業利益率20%の祖業だった自動線材切断機の製造・販売権を他社へ譲渡し、翌83年にかけては売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注を意図的に絞った。いずれも不採算ではなく黒字の事業でありながら、営業利益率40%のFAセンサーへ資源を集中させるために手放した。1989年、日経ビジネスはこの『利益率2割の事業も捨てた』経営を、上場企業でも屈指の高収益体質を生んだ判断として紹介した。

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★★★
滝崎武光営業利益を厚く社員へ還元する高給の人事

1991年4月下旬、東証・大証1部のキーエンス株は任天堂を抜いて株価日本一を記録した。飛び抜けた高収益の一部を、滝崎武光社長は社員へ厚く還元した。月ごとに営業利益の一定割合を基本給に応じて社員全員へ分配し、メーカーでも上位の給与を払う。平均年齢28歳の若い会社で30歳を過ぎれば年収1000万円に届き、滝崎氏は『将来は株価だけではなく、給与も日本一にしたいですね』と語った。

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★★★
滝崎武光新本社・研究所を竣工
滝崎武光直販とファブレスによる高粗利モデルの確立

キーエンスは、代理店を介さず営業担当が顧客の製造現場へ直接足を運ぶ直販と、自社工場を持たず生産の大半を協力会社へ委託するファブレスを組み合わせ、高い粗利益を生むモデルを固めた。技術の独自性が高く付加価値の高い2〜3割の商品だけを子会社で作り、価格競争が激しく利益率の低い商品はほとんど外注する。

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★★★
滝崎武光直販とファブレスによる高粗利モデルを説明★★
滝崎武光大幅な減収減益へ
佐々木道夫佐々木道夫氏が代表取締役社長に就任
佐々木道夫リーマンショックにより大幅減益へ
佐々木道夫ジャストシステムの株式取得★★
山本晃則山本社長が就任。グローバル展開を本格化
山本晃則IRの開示姿勢が投資家から不評
中田有中田有氏が代表取締役社長に就任
中田有中田社長の再任賛成比率80%
2022〜2026年グローバル企業への変貌と情報開示を巡る課題が浮上した成熟期中田有過去最高益を達成
出典・参考

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