滝崎武光氏の三度目の起業とリード電機
滝崎武光氏は1945年に生まれ、1964年に兵庫県立尼崎工業高校を卒業[1]した後、外資系のプラント制御機器メーカーで電子制御を学んだ[2]。独立して興した電子機器メーカーは解散に追い込まれ、続いて設立した機械関係の組み立て下請け会社も倒産[3]させた。1972年3月、27歳の滝崎氏は三度目の起業として兵庫県伊丹市でリード電機を個人創業[4]し、自動制御機器と電子応用機器の開発、製造販売に着手[5]した。祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機[6]で、電子制御による小型化を武器に、古河電工や住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入[7]した。
祖業の自動線材切断機は電線メーカーの製造現場で使う地味な産業用機械[8]だったが、営業利益率は20%に達した[9]。1973年4月には工場自動化用の各種センサを開発[10]し、製造販売を始めた。1974年5月、滝崎氏は『産業界の合理化、省力化に対する非常に大きな需要に応えるため、株式会社組織に改組』[引用元][11](証券アナリストジャーナル 1987年12月号)し、兵庫県尼崎市にリード電機株式会社を設立[12]した。個人創業から株式会社化までは2年2カ月[13]を要した。会社を潰さず永続させるにはどうすればよいかという問いから、滝崎氏は最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求[14]へ行き着き、売上規模の拡大よりも利益率を優先する判断基準[15]を据えた。
1973年、滝崎氏はプレス加工の現場で金型が破損する課題に着目[16]し、磁気を利用して非接触で金属板の二枚送りを検出する金属板二枚送り検出器[17]を開発した。数億円規模の金型を守るセンサーに8万5000円という単価[18]を付け、原価積み上げではなく顧客が得る導入効果を基準に価格を決める付加価値価格[19]の方針を据えた。製品はトヨタ自動車への採用を皮切りに、日産自動車、三菱自動車工業、本田技研工業[20]など主要自動車メーカーへ広がった。1977年時点の品揃えは、この検出器のほか微小位検出スイッチ、D.F DETECTOR、金属片通過確認スイッチ、継目検出器[21]で、いずれも金属を非接触で捉える用途に集中していた。滝崎氏は『他社にない製品なので、商社、代理店を通じてPRすると、当社製品の価値がうまく顧客に伝わらない』[引用元][22](証券アナリストジャーナル 1987年12月号)と述べ、創業時から最終ユーザーへ直接販売する体制[23]を敷いた。
1982年、滝崎氏は営業利益率20%の祖業だった自動線材切断機[24]の製造・販売権を他社へ譲渡[25]した。切断機は売上の約1割を占める黒字事業[26]だったが、商品内容が異なるため開発に無駄が生じる点と、営業利益率40%のFAセンサーへ集中した方が収益力が強まる点[27]を理由に手放した。翌1983年にかけては、1社で売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注[28]も、経営の安定を損なうとして意図的に絞った。二度の業容縮小はセンサーの商品開発の幅を広げ、取引先は3万5000社に達した[29]。1981年3月期以降、同社は売上高経常利益率35%以上を保った[30]。
創業期に定めた三つの原則が以後の経営の根幹となり、第一は代理店を介さず営業担当が顧客の製造現場へ直接足を運ぶ直販[31]、第二は個々の顧客向けの特注品ではなくニーズを集約した標準品に絞る品揃え[32]、第三は原価ではなく顧客が得る導入効果を基準とする付加価値価格[33]である。計測制御機器や自動化用測定機器の市場規模はそれぞれ数十億円程度と小さく、同社は各製品で市場を創造して高いシェアを握り、プライスリーダーの位置[34]を占めた。1983年には『電子機器、計測器の大手企業をしのぐ競争力を持ち、とくにリードスイッチを応用したレベルセンサーでは30%のシェア』[引用元][35](日経産業新聞 1983年12月1日)を得て、国産レベルセンサーで首位に立った[36]。
製品群の拡大は段階を追って進み、1980年4月に光電センサの分野へ参入[37]した。1983年4月には電子部品業界や家電業界向けに光ファイバー式のセンサを開発して本格進出[38]を果たし、磁気センサと光電センサという二本の主力を揃えた[39]。1985年3月にはアメリカに現地法人KEYENCE CORPORATION OF AMERICAを設立[40]し、同年9月には大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社を設立[41]した。ただし自社では具体的な生産を行わず[42]、ノウハウが鍵を握る約25%の製品だけを子会社で作り、残る75%は協力会社へ委託した。1984年11月には本社を大阪府高槻市へ移し[43]、1986年には半導体レーザーによるセンサ、1987年にはプログラマブルコントローラの販売を始めた。
1986年10月、ブランドと商号の統一を図るため、社名をリード電機から株式会社キーエンスへ変更[44]した。1979年9月の東京営業所開設[45]を皮切りに営業所を全国へ広げ、より多くのユーザーへ直接営業できる販売網を整えた[46]。本社を置いていた大阪府吹田市の江坂地区[47]は、地下鉄で新幹線の新大阪駅まで5分という立地に研究開発型の若い企業が集まり、『ベンチャービジネスのメッカ』[48](日経産業新聞 1984年10月5日)と呼ばれた。1986年3月期の売上高は60億8800万円で前期から44.1%伸び[49]、売上高営業利益率は39.4%だった[50]。
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| 1972〜1986年二度の倒産を経てセンサー専業へと転換を遂げた創業期 | キーエンス創業——リード電機の自動線材切断機から付加価値価格のセンサー専業へ 1972年3月、二度の起業に失敗した27歳の滝崎武光氏が兵庫県伊丹市でリード電機を個人創業した。祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機で、電子制御による小型化で古河電工・住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入した。1973年4月にはトヨタ向けの金属二枚送り検出器を開発し、原価ではなく顧客が得る導入効果で値付ける付加価値価格の原型を据えた。1974年5月に尼崎市で株式会社化し、1987年10月に大阪証券取引所第二部へ上場した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 滝崎武光 | 交流磁界センサに参入 | ★★ | ||
| 滝崎武光 | リード電機を設立 | ★ | ||
| 滝崎武光 | 光学センサーの販売を開始 | ★ | ||
| 滝崎武光 | センサに集中投資。切断機から事業撤退 | ★★ | ||
| 滝崎武光 | 商号をキーエンスに変更 | ★ | ||
| 1987〜2021年大阪証券取引所上場と高収益モデルの完成を迎えた成長期 | 滝崎武光 | 大阪証券取引所第2部に株式上場 | ★ | |
| 滝崎武光 | 利益率2割の事業も捨てた高付加価値への集中 1982年、キーエンス(当時リード電機)は営業利益率20%の祖業だった自動線材切断機の製造・販売権を他社へ譲渡し、翌83年にかけては売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注を意図的に絞った。いずれも不採算ではなく黒字の事業でありながら、営業利益率40%のFAセンサーへ資源を集中させるために手放した。1989年、日経ビジネスはこの『利益率2割の事業も捨てた』経営を、上場企業でも屈指の高収益体質を生んだ判断として紹介した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 滝崎武光 | 営業利益を厚く社員へ還元する高給の人事 1991年4月下旬、東証・大証1部のキーエンス株は任天堂を抜いて株価日本一を記録した。飛び抜けた高収益の一部を、滝崎武光社長は社員へ厚く還元した。月ごとに営業利益の一定割合を基本給に応じて社員全員へ分配し、メーカーでも上位の給与を払う。平均年齢28歳の若い会社で30歳を過ぎれば年収1000万円に届き、滝崎氏は『将来は株価だけではなく、給与も日本一にしたいですね』と語った。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 滝崎武光 | 新本社・研究所を竣工 | ★ | ||
| 滝崎武光 | 直販とファブレスによる高粗利モデルの確立 キーエンスは、代理店を介さず営業担当が顧客の製造現場へ直接足を運ぶ直販と、自社工場を持たず生産の大半を協力会社へ委託するファブレスを組み合わせ、高い粗利益を生むモデルを固めた。技術の独自性が高く付加価値の高い2〜3割の商品だけを子会社で作り、価格競争が激しく利益率の低い商品はほとんど外注する。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 滝崎武光 | 直販とファブレスによる高粗利モデルを説明 | ★★ | ||
| 滝崎武光 | 大幅な減収減益へ | ★ | ||
| 佐々木道夫 | 佐々木道夫氏が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 佐々木道夫 | リーマンショックにより大幅減益へ | ★ | ||
| 佐々木道夫 | ジャストシステムの株式取得 | ★★ | ||
| 山本晃則 | 山本社長が就任。グローバル展開を本格化 | ★ | ||
| 山本晃則 | IRの開示姿勢が投資家から不評 | ★ | ||
| 中田有 | 中田有氏が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 中田有 | 中田社長の再任賛成比率80% | ★ | ||
| 2022〜2026年グローバル企業への変貌と情報開示を巡る課題が浮上した成熟期 | 中田有 | 過去最高益を達成 | ★ |
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