重要な意思決定
19723月

滝崎武光氏がリード電機を創業

背景

2度の倒産を経た27歳の3度目の起業

キーエンスの創業者である滝崎武光氏の経歴は異色である。最終学歴は尼崎工業高校卒業であり、在学中は学生運動の指導的立場にあったが、イデオロギーでは世の中は変わらないと観念し、数字で勝負できる事業家を志した。高校卒業後に外資系のプラント制御機器メーカーを経て1度目の起業に挑んだが、電子機器メーカーとして立ち上げた事業は倒産した。続く2度目の起業もメーカーの組み立て下請けとして立ち上げたものの、同様に倒産に至った。

1972年、滝崎氏は27歳で3度目の起業としてリード電機を兵庫県伊丹市にて個人創業した。祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機の製造であった。当時の切断機は大型が一般的であったが、滝崎氏は電子制御による小型化が可能と判断し、従来より小型の切断機を開発して電線メーカーへの納入に成功した。拠点が兵庫県であったことから、納入先は古河電工や住友電工など尼崎周辺に工場を持つメーカーであったと推定される。

決断

直販体制の採用と利益率基準の事業選別

創業期からキーエンスは顧客への直販体制を採用した。他社にない仕様の製品であるため、代理店経由では製品のメリットが顧客に伝わりにくいという判断であった。競合のオムロンが代理店経由の販売体制をとる中、キーエンスは最終ユーザーまで直接把握する営業体制で差別化を図った。この直販体制は、後にキーエンスの高収益構造を支える基盤となった。

1982年には祖業の自動線材切断機を他社に事業譲渡して撤退した。切断機事業は営業利益率20%超の収益事業であり、売上構成比も約1割を占めていた。しかし、主力に転換していたセンサー事業の営業利益率が約40%であったことから、利益率の低い事業を切り離してセンサーに経営資源を集中させた。業績不振ではなく利益率の差を理由に祖業を手放すという判断は、キーエンスの経営思想を象徴するものであった。

結果

センサー専業メーカーとしての方向性の確立

切断機事業の売却により、キーエンスはセンサー専業メーカーとしての方向性を明確にした。直販体制と利益率基準の事業選別という二つの原則は、創業から10年以内に確立され、以後のキーエンスの経営を一貫して規定することとなった。滝崎氏自身も「何もセンサーにこだわる必要はない。キーエンスの企業規模から考えて、今はセンサーを主力にしているだけで、仮の姿だ」と述べており、事業領域への執着よりも利益率の最大化を優先する姿勢が窺える。

2度の倒産を経験した創業者が、3度目の起業で築いた企業は、直販・高利益率・事業の取捨選択という原則に基づく経営体制を創業期から備えていた。1974年に法人化してリード電機株式会社を設立し、1986年に商号をキーエンスに変更した。創業期に確立されたこれらの経営原則は、後にキーエンスが日本有数の高収益企業に成長する土台となった。