決断
技術は外から借りたが、経営権の半分だけは渡さなかった。1952年5月、講和条約の発効を受けて山口武彦社長は渡米し、ミネアポリス・ハネウエル・レギュレーター社との交渉に入る。相手は51%の取得を求めたが、支配権を争う関係では共同経営にならないとして山口氏は50対50を譲らず、1953年1月に出資比率50%の合弁を成立させた。工業計器の単品メーカーは、空調制御機器とマイクロスイッチという未経験の二分野を同時に抱えることになった。1961年3月末には工業計器の売上構成比が56.0%まで下がっている。渡さなかった半分が、49年後に提携を解いたあとも三つの領域をそのまま自社の事業として残した。
1953年1月 米ハネウエルと資本提携
業績の推移1952 1953 1958 売上高(億円) 3 4 23 当期利益率(%) 2.0 3.2 2.8 1933年4月 大森で計器メーカーへ転換