JSR合成ゴム事業のリストラによる投資原資の捻出と、光・電子材料への集中投資

時期 1993年9月
意思決定者(推定) 朝倉竜夫・松本栄一 会長・社長
論点 本業の縮小と研究開発投資の配分
概要
1990年代前半、日本合成ゴムが本業である合成ゴム事業のリストラで投資原資を捻出し、フォトレジストを中心とする光・電子材料へ配分を寄せた経営判断。1994年3月期から3年間のリストラで中核商品スチレン・ブタジエンゴムの品目数を40から半分近くまで絞り込んだ。
背景
第2次石油危機でゴム原料価格が上がり1982年3月期の営業利益は前期比65%減、プラザ合意後の円高ではタイヤ向け合成ゴムの販売が落ちた。1979年に売り出したフォトレジストは国内の系列取引に阻まれ、長く利益が出なかった。
内容
コスト削減で合成ゴム部門を毎年100億円超のキャッシュフローを稼ぐ体質に変え、それを光・電子材料の投資原資に充てた。研究開発費は年間100億円台へ増やし、半分以上を電子材料へ。売上高研究開発費比率は合成ゴム3%に対し光・電子材料20%に達した。
含意
1997年3月期にフォトレジストの世界シェアは約2割で第2位、光・電子材料部門の売上構成比は17%となった。同年12月、日本合成ゴムはJSR株式会社へ社名を改め、社名から合成ゴムの文字を外している。
筆者の見解

痩せさせた本業が、次の柱を養った

40品目あったスチレン・ブタジエンゴムを半分近くまで削る——1994年3月期から三年かけて日本合成ゴムがやったのは、赤字事業の後始末ではなく、稼いでいる本業の品ぞろえを自ら痩せさせることであった。そこで浮いた毎年100億円超のキャッシュフローが、売上高の20%という研究開発費を光・電子材料へ投じ続ける原資になっている。同じ比率が合成ゴム事業では3%であった以上、この落差そのものが配分の意思であったといえる。

ただ、その配分が最初から通っていたわけではない。フォトレジストは1979年の発売から利益が出ず、旧財閥系の化学会社に商談を横取りされた一件が示すとおり、国内の系列取引の壁は厚かった。売れない商品を抱えた十数年を経て、海外で売るという答えに行き着いている。1997年3月期のシェア2割も世界2位にとどまり、首位の東京応化工業とは10ポイント近い差が残った。光・電子材料部門の売上構成比も17%で、稼ぎの主役はなお合成ゴムであった。配分を寄せた先が柱に育つまでには、なお時間が要ったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

同じ問いに直面した会社

祖業を、新技術で置き換えるか1980年明治製菓不採算菓子工場の閉鎖と食品事業の構造改善、薬品部門への経営資源の集中事業構成と経営資源の配分
1994年クラレ非繊維事業への転換「地下茎経営」と、不況に揺るがぬ収益体質づくり繊維依存からの脱却と高付加価値多角化
1992年朝日インテック極細ステンレスワイヤー販売から医療カテーテル製造業への転換と、国内初のPCIガイドワイヤーの製品化業態転換と極細ワイヤー技術の医療への転用
1997年三共糖尿病薬ノスカールの国際展開と「第二の柱」戦略の挫折主力品メバロチンの特許切れを見据えた次の収益の柱づくりと国際展開
1989年山之内製薬筑波研究センターの開設と、バイオテクノロジーを用いた医薬品への投資研究開発への投資と自社創製
出典・参考
  • 日経ビジネス 1997年7月7日号
  • 日経ビジネス 1994年4月11日号
  • 日経ビジネス 1994年1月31日号
  • 日経ビジネス 1993年9月6日号
  • 日経ビジネス 1993年8月23日号
  • JSR 有価証券報告書【沿革】

免責事項およびポリシー