「日本水産」を捨てた業態転換 — 水産卒業・食品と養殖の双翼へ

創業以来の社名を下ろし、漁労依存の会社をどこへ組み替えようとしたか

更新:

時期 2022年4月
意思決定者 浜田晋吾 ニッスイ 社長
論点 事業ポートフォリオの転換と社名変更
概要
2022年、日本水産(現ニッスイ)が長期ビジョン「Good Foods 2030」と中期経営計画「Good Foods Recipe1」を掲げ、同年12月に創業以来の商号「日本水産」を「ニッスイ」へ改めた業態転換。浜田晋吾社長の主導で、収益を漁労・水産に依存する体質から、食品と養殖を双翼とする食の企業へと事業構造を組み替えた。
背景
1977年の200カイリ規制以降、収益の多くを漁労に依存する低収益体質が長く続き、2000年代に重ねた海外M&Aで積んだのれん・為替が景気の底で全社業績を揺らしていた。2009年3月期には純損失162億円を計上し、水産・漁業に依存した収益構造の脆さが露呈していた。
内容
2022年4月に長期ビジョンと中計を策定し、同年12月に商号を「ニッスイ」へ変更した。医薬事業の日水製薬を島津製作所へ譲渡して撤退し、水産・食品・ファインケミカルの三本柱へ経営資源を絞った。あわせて「獲る漁業」から「つくる漁業」へ主軸を移し、完全養殖を軸に養殖事業を強化した。
含意
2023年3月期に食品事業が水産事業を売上で上回って主力に転じ、2026年1月にはチリのペスケラ・ヤドランを1億3300万米ドルで完全子会社化して南米サーモン養殖を次の柱に据えた。ただ養殖もなお市況・飼料相場・斃死に収益を委ねる構造を引き継いでいる。
筆者の見解

社名を下ろした会社が背負うもの

この判断の中心にあるのは、半世紀にわたって収益を漁労に委ねてきた会社が、その依存を自らの名前ごと下ろそうとした点にある。日本水産という社名は、遠洋漁業で伸びた歴史の象徴であると同時に、市況に業績を振り回される体質の看板でもあった。その名を「ニッスイ」へ置き換え、食品を売上の主力に、養殖を利益の次の柱に据える組み替えは、200カイリ規制以来くすぶってきた食品メーカー化の課題に、ようやく正面から答えを出そうとした試みだったとみることができる。好況期の余裕からではなく、海外M&Aの後始末を経て体力を取り戻す途上で踏み込んだ点に、この転換の切実さがうかがえる。

ただ、双翼の一方に据えた養殖が、漁労時代とは異なる安定をもたらすのかは、なお見極めの途中にある。養殖は市況や飼料相場、斃死といった、かつて漁業を苦しめたものと同型のリスクを抱え続けており、南米サーモンへの大型投資は財務の負担にもなった。水産の看板を下ろすことと、水産由来の振れから自由になることは、必ずしも同じではない。社名が変わったことを業績でも裏づけられるかどうか——「日本水産」を捨てた選択の当否は、養殖という新しい柱がどこまで太くなるかに懸かっているとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

漁労依存の低収益体質と海外M&Aの重荷

ニッスイの前身である日本水産は、1977年の200カイリ規制で主力漁場を失ってからも、収益の多くを漁労部門に頼る低収益体質を長く引きずっていた。マヨネーズや即席ラーメンなど陸上加工への多角化は繰り返し試みられたものの、本業の漁労が稼ぐほどに経営資源が海上へ集まり、食品メーカーへの脱皮は半世紀にわたって先送りされてきた。連結の営業利益率は2010年代半ばまで2〜3%台にとどまり、業界内では優良企業でも食品メーカーとして見れば見劣りする水準が続いていた[1]

収益基盤の弱さは、2000年代に重ねた海外M&Aによっていっそう振れ幅を増した。2001年の米ゴートンズ買収を皮切りに海外の食品会社へ投資を広げたが、積み上げたのれんと為替が景気循環の底で全社業績を揺らし、2009年3月期には純損失162億円を計上した。のちに浜田晋吾社長は当時を「いい気になってしまった」「失敗することが増え、そのピークになったのが10年ごろだった」と振り返り、不採算事業の整理を進めて出血を止めたのが2010年代半ばであったと述べている。この危機の後始末が、水産・漁業への偏りを離れる転換へとつながった[2][3]

決断

水産の看板を下ろす

2020年代に入ると、収益構造の組み替えは面的な戦略として形を取り始めた。2022年4月20日、浜田晋吾社長は長期ビジョン「Good Foods 2030」と中期経営計画「Good Foods Recipe1」を策定し、2030年度に売上高1兆円・営業利益率5%を掲げた。そして2022年12月1日、創業以来の商号「日本水産」を「ニッスイ」へと改めた。水産という特定の事業を指す社名から、長く親しまれた呼称そのものを新商号に据える選択で、会社の自己定義を水産の枠から外す意思を対外的に示した判断であった[4][5]

社名変更は看板の掛け替えにとどまらず、事業の輪郭そのものを削る作業を伴った。会社はこの前後で医薬事業を担う子会社の日水製薬を島津製作所へ譲渡し、医薬から撤退した。残す領域を水産・食品・ファインケミカルの三本柱に絞り、多角化のなかで散らばっていた経営資源を集約する方向を鮮明にした。祖業の水産で得た研究開発の知見は生かしつつ、顧客に対して広く「食」を提供する会社を目指すという浜田社長の言葉が、この整理の骨格を言い表していた[6][7]

「獲る漁業」から「つくる漁業」へ

もう一方の軸は、水産事業そのものの中身を漁労から養殖へ移すことにあった。日本水産は戦後、母船式でサケ・マスやカニの遠洋漁業を柱に伸びたが、1970年代の200カイリ規制で北方の漁場が細り、天然魚だけに依存できないという認識のもとで養殖へ乗り出した経緯を持つ。2004年に宮崎県串間市で黒瀬水産を設立してブリ養殖に参入し、完全養殖の技術を積み上げてきた。この蓄積を、収益の振れを抑える柱として前面へ据え直したのが、業態転換のもう一つの中身であった[8]

養殖強化の核心は、天然の稚魚に頼らない完全養殖にあった。天然のもじゃこを採る従来の方式では、稚魚が獲れるかどうかに供給が左右されるのに対し、人工種苗による完全養殖なら計画的に育てて通年で出荷できる。黒瀬水産は2022年に種苗をすべて人工化し、病気に強い家系や成長の早い家系を組み合わせる育種で他社との差を広げた。当時ニッスイの養殖事業推進部を管掌した田中輝氏は、養殖ブリの「価値が完全に変わった」と語り、養殖を水産事業の性格を変える技術ととらえていた[9][10]

結果

食品が主力に、養殖が次の柱に

転換は、まず売上の構成に表れた。商号を改めた2023年3月期には、食品事業の外部顧客向け売上高が3,820億円に達し、水産事業の3,283億円を上回って主力事業へと逆転した。もっともセグメント利益では水産事業が186億円と食品事業の114億円を上回り、稼ぐ力の面では水産・養殖がなお重い位置を占めていた。売上の柱は食品へ移りつつ、利益の柱をどこに置くかという問いは、養殖の収益化に懸かる構図であった[11]

利益の柱を養殖へ育てる意思は、その後の投資に現れた。2025年4月の中期経営計画「Good Foods Recipe2」は、3年間で約1,100億円を海外食品事業・南米養殖・ファインケミカルへ集中配分する方針を示した。そして2026年1月、ニッスイは連結子会社のチリ・サルモネス アンタルティカを通じてサーモン養殖のペスケラ・ヤドランを1億3300万米ドル(約205億円)で完全子会社化し、アトランティックサーモンを扱う海外販売網を取り込んだ。「獲る漁業」から「つくる漁業」への転換が、南米サーモンという次の柱の形を伴って前へ進んだ[12][13]

なお市況に委ねる構造

もっとも、養殖を柱に据える転換は、水産事業につきものの振れをそのまま解消するわけではなかった。ニッスイ自身、養殖事業はまだ成熟したとはいえず、引き続きボラティリティが出る年もあり得るとの見方を示している。南米養殖では在池魚の評価が四半期業績を上下させ、生育に3年以上かかる従来のマグロ養殖では斃死が減益要因となった。会社は回転の速い短期養殖マグロの比率を高め、国内サーモン養殖の生産規模を約3,000トンから1万トンへ広げるなど、技術と規模で収益の安定を図る途上にあった[14][15]

浜田晋吾社長は、相場に左右されないことはありえないとしたうえで、仕入れという入り口と販売という出口の管理でボラティリティをできる限り抑えると説明していた。水産が魚価下落で苦しいときには仕入れ値の落ち着いた食品が支え、逆に食品が苦しいときには水産が補うという相互補完で、安定した収益を出せる体制に近づいたとの認識も示した。社名から水産の二文字を外した会社にとって、双翼の一方に据えた養殖をどれだけ安定した稼ぎ手に育てられるかが、転換を数字で裏づける条件として残った[16]

出典・参考