森ビル アークヒルズの竣工 単独ビルの建設から市街地再開発事業への転換
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1971年に東京都が赤坂・六本木地区の再開発へ動き、森ビルが都市再開発法による民間デベロッパー活用の第1号として事業を担った経営判断。土地をまとめるのに16年、1986年3月のアークヒルズ竣工までに計20年を要し、1棟単位の賃貸ビル業から街区単位の再開発事業へ事業の輪郭を変えた。
- 背景
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森ビルは虎ノ門の狭い地域に40棟を積み上げてきたが、その手法は1棟ずつの用地買収に依存していた。
- 内容
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対象は米国大使館付近の8万平方メートル余りで、超高層のオフィスビル、ホテル、マンションを建てる計画であった。用地買収では値段で押さず、ビルの建設によって生まれる付加価値を地権者と公平に分け合う手順をとり、最終的に敷地の4分の3を森ビルが取得した。
- 含意
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竣工した1986年から4年後、森ビルは本社をアーク森ビルへ移した。一方で投資規模は体力を超え、森章社長が後年に残した反省は 『ウチの体力から見て、投資額が1000億円多かった』 というものであった。
いつ何が起きたか 5件
筆者の見解
急がないという原則が背負ったもの
『決して急がないこと。それが土地買収のコツだ』という原則は、1棟のビルであれば10年の交渉として現れた。街区を相手にした赤坂では、それが土地をまとめるのに16年、竣工まで20年という時間に変わった。1971年の報道時点で翌年の着工が見込まれていた事業が、実際には1986年までかかっている。地権者と付加価値を分け合う方法を選ぶとは、その間の資金を抱え続けると決めることでもあった。急がない交渉の裏側には、急げない資金繰りが並走していたとみられる。
もっとも、この規模が会社の体力に見合っていたかは別の問題である。アークヒルズについて森章社長が後年示した見立ては『ウチの体力から見て、投資額が1000億円多かった』であった。投資額を決める基準にしていた賃料がバブル経済期に上がり、投資余力が増したと見誤ったためであった。事業を支えていたのは土地の含みであり、その含みが1990年代に消えたとき、同じ手順で次の街区を開くことはできなくなった。20年をかけた成功が、次の20年の制約に変わっている。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
業績の推移
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参考文献
- 日経ビジネス 1971年5月3日号
- 日経ビジネス 1995年8月7日・14日号
- 森ビル 有価証券報告書【沿革】