1棟のビルが相手なら10年の交渉として現れた『決して急がないこと。それが土地買収のコツだ』という原則は、街区ごと扱う赤坂の案件になると、用地の集約に16年、完成までに20年を費やす長さへと広がった。1971年に報じられた時点では着工は翌年とされていたが、竣工したのは1986年である。交渉を急がなかった理由には、資金繰りの上で急ぐ余力がなかった事情も重なっていたとみられる。裏を返せば、付加価値を地権者と分け合う方式をとる以上、完成までの資金を抱え続ける決断も伴っていた。
もっとも、この規模が会社の体力に見合っていたかは別の問題である。アークヒルズについて森章社長が後年示した見立ては『ウチの体力から見て、投資額が1000億円多かった』であった。投資額を決める基準にしていた賃料がバブル経済期に上がり、投資余力が増したと見誤ったためであった。事業を支えていたのは土地の含みであり、その含みが1990年代に消えたとき、同じ手順で次の街区を開くことはできなくなった。20年をかけた成功が、次の20年の制約に変わっている。