この15年を、環境対応のための設備更新という言葉でくくるのは、事業の性格を見誤らせる。天然ガスへの転換は、原料と製造設備を替えるだけでなく、近畿2府4県に散らばる膨大な数の需要家のガス機器を一台ずつ作り替える、後戻りのできない一斉工事であった。供給を止めず、事故も起こさずにそれを1975年から1990年まで15年かけてやり切ったところに、公益事業としての大阪ガスの構えがあらわれていると推察される。
もっとも、天然ガスへの転換は、原料を海外のLNGに委ねる体質を同時に固定した。長期契約は安定供給を約束する一方で、輸入価格が上がれば利益が圧迫される構造を残し、後年の大阪ガスは料金規制のもとでこの重さと向き合い続けることになる。原料を替えるという判断は、供給の質を高めると同時に、収益の変動要因をどこに置くかという課題を経営に残した。転換の成否は、作り替えた事業構造をその後どう使いこなすかに、なお委ねられていたと思われる。