日本瓦斯 の歴史

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創業 1955年
創業者 河野勇雄
創業地 東京都渋谷区
創業
1955年7月、東京で日本瓦斯株式会社が資本金250万円・社員5人で設立された。岩谷産業の創業者・岩谷直治氏の長男にあたる岩谷徹郎氏が、産業用を主力とする本業から家庭用LPガスの販売と機器・ガス工事の設計施工を切り出した専業会社で、初代社長には元島根県副知事の本山修策氏が就任し、1987年まで32年間務めた。翌1956年には日本住宅公団と提携してNGK導管供給システムを開発し、新興団地へ導管でLPガスを一括供給する経路を得た。ボンベを1戸ずつ配る方式に対し、団地ごとに数百戸の顧客をまとめて獲得できた。1959年に田無、1960年に町田と首都圏西郊へ充填基地を置き、1973年2月に東京証券取引所市場第二部へ上場した。
決断
ガスそのものではなく、ガスを運ぶ費用のほうで差をつけてきた。1966年6月に新日本瓦斯を設立して都市ガス事業へ参入し、容器を1戸ずつ配る商売へ供給区域という面を重ねた。1997年4月にLPガス小売が許可制から登録制へ移ると、地域独占を前提とする経営を改め、値下げと中小同業の買収で顧客を獲得する方針へ転じた。仕入価格は市況と為替に連動して各社横並びとなるため、利幅は仕入れた後の物流と保安の費用構造だけで分かれる。2010年から首都圏外縁部にデポステーションを配置し、2021年3月には関東の需要を1拠点で処理する充填ハブ「夢の絆・川崎」を稼働させた。2019年実用化の自社スマートメーター「スペース蛍」と2022年開始のLPガス託送は、この配送網を競合他社へ有償で提供する事業へ変えた。
現況
LPガスで始めた会社の売上は、現在その6割弱を都市ガスと電気が占める。2026年3月期の連結売上高は2,085億円、営業利益213億円、純利益148億円であった。セグメント別ではLPガス事業908億円に対し、都市ガス事業663億円と電気事業514億円の合計が1,177億円で、全体の56%にあたる。都市ガスは2017年4月の全面自由化で東京ガスの供給区域へ入って伸びた領域で、2019年1月には東京電力エナジーパートナーとの共同事業を含む契約件数が100万件を超えた。2014年3月に都市ガス子会社4社を株式交換で完全子会社化したことが、2024年1月に3社の小売事業を本体へ吸収分割で承継する再編を可能にした。1966年から子会社として積み上げた都市ガス事業は、58年かけて本体の一事業へ集約された。
競合
導管を持たないまま、導管を持つ最大手の顧客を獲得してきた。2017年4月の都市ガス小売全面自由化に合わせ、同年8月に東京電力エナジーパートナーと折半出資で東京エナジーアライアンスを設立し、調達・託送手続・保安・決済をクラウドで担う仕組みを新規参入者へも提供した。東京ガスから他社へ切り替えた顧客は2018年4月時点で関東全体の約25万件、うち東電EPが13.5万件、日本瓦斯が11万件を占めた。東京ガスが家庭向け電力の販売へ参入したのと同じ時期に、日本瓦斯は逆に都市ガスへ入った。値下げを続ける原資は、2011年9月にJPモルガン系のOEPを筆頭株主に迎えた資本業務提携で得た約103億円である。LPガスでは自前の配送網で費用を握り、都市ガスでは他社の導管を借りて価格で挑む。条件の異なる二つの市場を同じ顧客名簿の上に重ねている。
日本瓦斯:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 岩谷家系からのスピンオフと首都圏LPガス供給網の形成 (1955年〜)

岩谷直治氏の長男が立ち上げた家庭用LPガス専業会社

1955年7月、岩谷産業創業者の[1]岩谷直治氏の長男にあたる岩谷徹郎氏が、東京で日本瓦斯株式会社を資本金250万円・社員5人で設立[2]した。本業の岩谷産業が産業用LPガスを軸とする総合エネルギー商社の道を歩むなか、家庭用LPガスの普及と関連機器の販売・ガス工事の設計施工を専業で担う会社として、グループから機能を切り出した専業会社として創業した。日本のLPガス家庭普及率はこの時点でまだ数%にとどまっており、戦後復興期のかまど・薪炭から家庭用ガスへの転換期に、家庭用市場専業で参入する判断には先行投資の側面が強かった。

初代社長には元島根県副知事の本山修策氏が就任し、以降1987年までの32年間にわたりトップを務めた。本山氏自身、後年の講演でLPガス産業が日本で産声をあげたのは1953年、日本瓦斯の創設は1955年であったと振り返っており、それまで日本の家庭・業務用燃料は石炭・炭・まき・煉炭等の固形燃料が主体で、LPガスの登場は戦後における燃料革命のひとつと位置づけている。[3][4]設立初年度にあたる昭和30年7月から12月までの売上高はわずか300万円[5]にとどまり、本山氏は設立当初から自ら工事部を設けて配管・ガス機器の責任施工体制を整えた。

    • [3]本山修策氏本人の証言によれば、LPガス産業が日本で産声をあげたのは昭和28年(1953年)、日本瓦斯の創設は昭和30年(1955年)
    • [4]当時の日本の家庭・業務用燃料は石炭・炭・まき・煉炭等の固形燃料が主体で、LPガスの登場は戦後における燃料革命のひとつと位置づけられる
    • [5]設立初年度(昭和30年7月〜12月)の売上高は300万円、設立当初から工事部を設置し責任施工体制を整えた

設立翌年の1956年、日本住宅公団[6]との提携によりNGK導管供給システムを開発し、新興団地への一括ガス供給で施設経営の足場を組んだ。住宅公団は1955年に設立されたばかりで、数百〜数千戸規模の集合団地を全国で急ピッチに建てていた時期にあたる。集合住宅にLPガスを導管で配送する仕組みは、ボンベを各戸に個別配送する従来方式と比べて配送効率と保安面で優位性があり、団地ごとに数百〜千戸単位の顧客基盤を一括で得られた。1959年12月に田無工場[7]、1960年8月に町田工場と、首都圏西郊での充填基地の整備[8]を続け、1964年の東京オリンピックでは聖火台用のガスを供給した。家庭用専業として始めた事業が、首都圏のインフラの一部に組み込まれる位置を10年で得た。

    • [1]設立時の社員数は5人
    • [3]本山修策氏本人の証言によれば、LPガス産業が日本で産声をあげたのは昭和28年(1953年)、日本瓦斯の創設は昭和30年(1955年)
    • [4]当時の日本の家庭・業務用燃料は石炭・炭・まき・煉炭等の固形燃料が主体で、LPガスの登場は戦後における燃料革命のひとつと位置づけられる
    • [5]設立初年度(昭和30年7月〜12月)の売上高は300万円、設立当初から工事部を設置し責任施工体制を整えた
    • [6]本山修策氏本人の講演でも「配管によるLPガスの集中供給方式を、日本で初めて、昭和31年(1956年)に開発、実用化した」と言及(年・集中供給方式の概念は一致するが、住宅公団提携・NGKの呼称は同講演に明示なし)
  • 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1955年7月 日本瓦斯株式会社を東京で設立(資本金250万円)
    • [7]1959年12月に田無工場を整備
    • [8]1960年8月に町田工場を整備

都市ガス事業者の子会社化で関東一円のエリアを編む

1966年6月、日本瓦斯は新日本瓦斯株式会社を設立して都市ガス事業へ進出した[9]。LPガス専業として出発した同社が、配管インフラを必要とする都市ガス事業に踏み込んだのは、関東地方の中堅都市ガス事業者を傘下に収めて関東一円を面でカバーする方針への切り替えを意味した。1967年2月に我孫子ガスへ経営参加し[10]、1967年9月に小山都市瓦斯[11]、1968年6月に取手ガス[12]、1971年1月に久喜都市ガスと[13]、関東各都市の小規模都市ガス事業者を相次いで設立・資本参加した。地方都市ガス事業者は人口規模に応じた小規模経営で、単独では設備投資負担を吸収しきれない構造を抱えており、グループ化による調達・保安・営業の共通化に経済合理性があった。

  • 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1966年6月 新日本瓦斯株式会社を設立し都市ガス事業へ進出
    • [10]1967年2月 我孫子ガスへ経営参加
    • [11]1967年9月 小山都市瓦斯を設立
    • [12]1968年6月 取手ガスを設立
    • [13]1971年1月 久喜都市ガスを設立

1973年2月に東京証券取引所市場第二部へ上場し[14]、1979年1月には第一部へ指定替えとなった[15]。上場により資本市場からの調達手段を持ち、関東各地への都市ガス子会社への投資原資を確保できる体制が整った。1984年7月に鹿沼ガスへ経営参加し[16]、1999年10月には我孫子ガスと取手ガスを合併して東日本[17]ガスとし、小山都市瓦斯と鹿沼ガスを合併して北日本ガスとする再編を実施した。2001年12月には新日本瓦斯が東証第二部に[18]、2004年2月には東日本ガスが東証第二部に上場し[19]、関東の都市ガス子会社群そのものが資本市場で評価を受ける構造となった。創業から40年で関東の中堅都市ガス事業を1社の傘下に束ねたが、本体は依然としてLPガスを主力とする首都圏のエネルギー事業者にとどまっていた。

  • 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1973年2月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [15]1979年1月 第一部へ指定替え
    • [16]1984年7月 鹿沼ガスへ経営参加
    • [17]1999年10月 我孫子ガスと取手ガスを合併し東日本ガスへ、小山都市瓦斯と鹿沼ガスを合併し北日本ガスへ再編
    • [18]2001年12月 新日本瓦斯が東証第二部に上場
    • [19]2004年2月 東日本ガスが東証第二部に上場
  • 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
    • [9]1966年6月 新日本瓦斯株式会社を設立し都市ガス事業へ進出
    • [10]1967年2月 我孫子ガスへ経営参加
    • [11]1967年9月 小山都市瓦斯を設立
    • [12]1968年6月 取手ガスを設立
    • [13]1971年1月 久喜都市ガスを設立
    • [14]1973年2月 東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [15]1979年1月 第一部へ指定替え
    • [16]1984年7月 鹿沼ガスへ経営参加
    • [17]1999年10月 我孫子ガスと取手ガスを合併し東日本ガスへ、小山都市瓦斯と鹿沼ガスを合併し北日本ガスへ再編
    • [18]2001年12月 新日本瓦斯が東証第二部に上場
    • [19]2004年2月 東日本ガスが東証第二部に上場

32年間の本山修策体制と保守的経営の到達点

本山初代社長は1955年の設立から32年間にわたりトップを務め、家庭用LPガスの首都圏普及と都市ガス子会社網の形成という創業期の事業設計を主導した。32年という在任期間は上場企業の社長としては長期に属し、創業者の長男が筆頭株主家にとどまり経営は外部出身の元官僚社長に委ねる体制が、関東のLPガス・都市ガス供給網という安定事業との相性のなかで長く続いた。LPガスの家庭普及率は1990年頃までに7割を超え[20]、新規開拓余地が縮小する一方、設備保守と顧客維持を主軸とする事業構造が経営の保守性と整合した。

  • 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1990年頃までにLPガスの家庭普及率は7割を超えた

しかし1990年代後半に入ると、エネルギー業界の規制緩和をめぐる議論が国レベルで動き始めた。1995年には電気事業法の改正で電力小売部分自由化が決定され、ガス分野でも大口供給の自由化が1995年に始まった。1996年3月期の日本瓦斯の単体売上は数百億円規模で、関東の中堅エネルギー事業者として安定経営を続ける一方、規制下での地域独占に依存する収益構造の見直しを迫られる前夜にあたった。1955年の家庭用LPガス専業から始まり、関東一円の都市ガス子会社網を整備し、家庭エネルギー供給網を上場企業として運営する体制まで41年で築いたが、自由化という外部環境の構造変化が次の経営課題を経営陣の前に置いた。

  • 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1990年頃までにLPガスの家庭普及率は7割を超えた

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日本瓦斯の沿革1947〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
日本瓦斯の前身となる関東商事を設立
1955〜1996年岩谷家系からのスピンオフと首都圏LPガス供給網の形成日本瓦斯運輸を設立
日本瓦斯工事を設立
新日本瓦斯を設立し関東の中堅都市ガス事業者を傘下に収める都市ガス事業への進出

1966年6月、家庭用LPガスの専業会社として出発した日本瓦斯が、新日本瓦斯株式会社を設立して都市ガス事業へ入った経営判断。翌1967年2月の我孫子ガスへの経営参加を皮切りに、小山都市瓦斯・取手ガス・久喜都市ガスと関東各都市の小規模事業者を相次いで設立・傘下化し、1973年には都市ガス6社を持つ体制となった。

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★★★
我孫子ガスに経営参加
取手ガスを設立
久喜都市ガスを設立
東京証券取引所市場第二部に上場
東京証券取引所市場第一部銘柄に指定替
鹿沼ガスに経営参加
1997〜2016年1997年LPガス自由化と価格・サービス競争への参入新日本瓦斯が日本証券業協会に株式の店頭登録
我孫子ガスが取手ガスを吸収合併し商号を東日本ガスに変更★★
新日本瓦斯が久喜都市ガスを吸収合併
小山都市瓦斯が鹿沼ガスを吸収合併し商号を北日本ガスに変更
新日本瓦斯が東京証券取引所市場第二部に上場
日本瓦斯工事がニチガス開発ほか1社を吸収合併
東武ガスに経営参加
東日本ガスが東京証券取引所市場第二部に上場
和田眞治JPモルガン系PEファンドOEPを筆頭株主に迎える約103億円の資本業務提携

2011年9月、日本瓦斯がJPモルガン・チェース系のプライベートエクイティファンドOEP(OEP NG合同会社)との資本業務提携を発表した経営判断。10月18日付の第三者割当増資と自己株式の処分によりOEPは持株比率約18.7%の筆頭株主となり、日本瓦斯は約103億円を調達した。

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★★★
和田眞治都市ガス子会社4社を株式交換で完全子会社化しグループの意思決定を一本化

2013年12月20日、日本瓦斯が都市ガス子会社4社を株式交換により完全子会社化すると発表した経営判断。対象は東証第二部に上場する東日本ガスと新日本瓦斯、非上場の東彩ガスと北日本ガスで、上場2社は2014年3月4日に上場廃止となり、株式交換は3月7日に効力を生じた。

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★★★
2017〜2025年都市ガス全面自由化と「夢の絆・川崎」が起点となるエネ宇宙事業への拡張和田眞治全面自由化された都市ガス小売市場に参入★★
和田眞治東京エナジーアライアンスを東京電力エナジーパートナーと折半出資で設立★★
和田眞治日本瓦斯が新日本瓦斯のLPガス事業・新都市ガス事業を吸収分割で承継
和田眞治世界最大規模のLPガスハブ充填基地「夢の絆・川崎」完成★★
柏谷邦彦グループ再編を実施
柏谷邦彦日本瓦斯が東彩ガス・東日本ガス・北日本ガスのエネルギー小売事業を吸収分割で承継
柏谷邦彦門倉商店の株式を取得
出典・参考

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