1955年〜 岩谷家系からのスピンオフと首都圏LPガス供給網の形成
日本瓦斯の業績推移:単体
- 1963年 日本瓦斯運輸を設立
- 1965年 日本瓦斯工事を設立
- 1966年 新日本瓦斯を設立し関東の中堅都市ガス事業者を傘下に収める都市ガス事業への進出 容器で運ぶガスか、導管で送るガスか——首都圏の外周を面で押さえるための選択
- 1967年 我孫子ガスに経営参加
- 1968年 取手ガスを設立
- 1971年 久喜都市ガスを設立
- 1973年 東京証券取引所市場第二部に上場
岩谷直治氏の長男が立ち上げた家庭用LPガス専業会社
1955年7月、岩谷産業創業者の[1]岩谷直治氏の長男にあたる岩谷徹郎氏が、東京で日本瓦斯株式会社を資本金250万円・社員5人で設立[2]した。本業の岩谷産業が産業用LPガスを軸とする総合エネルギー商社の道を歩むなか、家庭用LPガスの普及と関連機器の販売・ガス工事の設計施工を専業で担う会社として、グループから機能を切り出した専業会社として創業した。日本のLPガス家庭普及率はこの時点でまだ数%にとどまっており、戦後復興期のかまど・薪炭から家庭用ガスへの転換期に、家庭用市場専業で参入する判断には先行投資の側面が強かった。
- [1]設立時の社員数は5人
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [2]1955年7月 日本瓦斯株式会社を東京で設立(資本金250万円)
初代社長には元島根県副知事の本山修策氏が就任し、以降1987年までの32年間にわたりトップを務めた[3]。本山氏自身、後年の講演でLPガス産業が日本で産声をあげたのは1953年、日本瓦斯の創設は1955年であったと振り返っており、それまで日本の家庭・業務用燃料は石炭・炭・まき・煉炭等の固形燃料が主体で、LPガスの登場は戦後における燃料革命のひとつと位置づけている。[4][5]設立初年度にあたる昭和30年7月から12月までの売上高はわずか300万円[6]にとどまり、本山氏は設立当初から自ら工事部を設けて配管・ガス機器の責任施工体制を整えた。
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [3]初代社長は元島根県副知事の本山修策氏で1987年までの32年間トップを務めた
- [4]本山修策氏本人の証言によれば、LPガス産業が日本で産声をあげたのは昭和28年(1953年)、日本瓦斯の創設は昭和30年(1955年)
- [5]当時の日本の家庭・業務用燃料は石炭・炭・まき・煉炭等の固形燃料が主体で、LPガスの登場は戦後における燃料革命のひとつと位置づけられる
- [6]設立初年度(昭和30年7月〜12月)の売上高は300万円、設立当初から工事部を設置し責任施工体制を整えた
設立翌年の1956年、日本住宅公団[7]との提携によりNGK導管供給システムを開発し、新興団地への一括ガス供給で施設経営の足場を組んだ。住宅公団は1955年に設立されたばかりで、数百〜数千戸規模の集合団地を全国で急ピッチに建てていた時期にあたる。集合住宅にLPガスを導管で配送する仕組みは、ボンベを各戸に個別配送する従来方式と比べて配送効率と保安面で優位性があり、団地ごとに数百〜千戸単位の顧客基盤を一括で得られた。1959年12月に田無工場[8]、1960年8月に町田工場と、首都圏西郊での充填基地の整備[9]を続け、1964年の東京オリンピックでは聖火台用のガスを供給した[10]。家庭用専業として始めた事業が、首都圏のインフラの一部に組み込まれる位置を10年で得た。
- [7]本山修策氏本人の講演でも「配管によるLPガスの集中供給方式を、日本で初めて、昭和31年(1956年)に開発、実用化した」と言及(年・集中供給方式の概念は一致するが、住宅公団提携・NGKの呼称は同講演に明示なし)
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [8]1959年12月に田無工場を整備
- [9]1960年8月に町田工場を整備
- [10]1964年の東京オリンピックで聖火台用のガスを供給
- [1]設立時の社員数は5人
- [4]本山修策氏本人の証言によれば、LPガス産業が日本で産声をあげたのは昭和28年(1953年)、日本瓦斯の創設は昭和30年(1955年)
- [5]当時の日本の家庭・業務用燃料は石炭・炭・まき・煉炭等の固形燃料が主体で、LPガスの登場は戦後における燃料革命のひとつと位置づけられる
- [6]設立初年度(昭和30年7月〜12月)の売上高は300万円、設立当初から工事部を設置し責任施工体制を整えた
- [7]本山修策氏本人の講演でも「配管によるLPガスの集中供給方式を、日本で初めて、昭和31年(1956年)に開発、実用化した」と言及(年・集中供給方式の概念は一致するが、住宅公団提携・NGKの呼称は同講演に明示なし)
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [2]1955年7月 日本瓦斯株式会社を東京で設立(資本金250万円)
- [3]初代社長は元島根県副知事の本山修策氏で1987年までの32年間トップを務めた
- [8]1959年12月に田無工場を整備
- [9]1960年8月に町田工場を整備
- [10]1964年の東京オリンピックで聖火台用のガスを供給
都市ガス事業者の子会社化で関東一円のエリアを編む
1966年6月、日本瓦斯は新日本瓦斯株式会社を設立して都市ガス事業へ進出した[11]。LPガス専業として出発した同社が、配管インフラを必要とする都市ガス事業に踏み込んだのは、関東地方の中堅都市ガス事業者を傘下に収めて関東一円を面でカバーする方針への切り替えを意味した。1967年2月に我孫子ガスへ経営参加し[12]、1967年9月に小山都市瓦斯[13]、1968年6月に取手ガス[14]、1971年1月に久喜都市ガスと[15]、関東各都市の小規模都市ガス事業者を相次いで設立・資本参加した。地方都市ガス事業者は人口規模に応じた小規模経営で、単独では設備投資負担を吸収しきれない構造を抱えており、グループ化による調達・保安・営業の共通化に経済合理性があった。
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [11]1966年6月 新日本瓦斯株式会社を設立し都市ガス事業へ進出
- [12]1967年2月 我孫子ガスへ経営参加
- [13]1967年9月 小山都市瓦斯を設立
- [14]1968年6月 取手ガスを設立
- [15]1971年1月 久喜都市ガスを設立
1973年2月に東京証券取引所市場第二部へ上場し[16]、1979年1月には第一部へ指定替えとなった[17]。上場により資本市場からの調達手段を持ち、関東各地への都市ガス子会社への投資原資を確保できる体制が整った。1984年7月に鹿沼ガスへ経営参加し[18]、1999年10月には我孫子ガスと取手ガスを合併して東日本[19]ガスとし、小山都市瓦斯と鹿沼ガスを合併して北日本ガスとする再編を実施した。2001年12月には新日本瓦斯が東証第二部に[20]、2004年2月には東日本ガスが東証第二部に上場し[21]、関東の都市ガス子会社群そのものが資本市場で評価を受ける構造となった。創業から40年で関東の中堅都市ガス事業を1社の傘下に束ねたが、本体は依然としてLPガスを主力とする首都圏のエネルギー事業者にとどまっていた。
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [16]1973年2月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [17]1979年1月 第一部へ指定替え
- [18]1984年7月 鹿沼ガスへ経営参加
- [19]1999年10月 我孫子ガスと取手ガスを合併し東日本ガスへ、小山都市瓦斯と鹿沼ガスを合併し北日本ガスへ再編
- [20]2001年12月 新日本瓦斯が東証第二部に上場
- [21]2004年2月 東日本ガスが東証第二部に上場
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [11]1966年6月 新日本瓦斯株式会社を設立し都市ガス事業へ進出
- [12]1967年2月 我孫子ガスへ経営参加
- [13]1967年9月 小山都市瓦斯を設立
- [14]1968年6月 取手ガスを設立
- [15]1971年1月 久喜都市ガスを設立
- [16]1973年2月 東京証券取引所市場第二部へ上場
- [17]1979年1月 第一部へ指定替え
- [18]1984年7月 鹿沼ガスへ経営参加
- [19]1999年10月 我孫子ガスと取手ガスを合併し東日本ガスへ、小山都市瓦斯と鹿沼ガスを合併し北日本ガスへ再編
- [20]2001年12月 新日本瓦斯が東証第二部に上場
- [21]2004年2月 東日本ガスが東証第二部に上場
32年間の本山修策体制と保守的経営の到達点
1987年6月、本山初代社長から石橋幸弘氏[22]へ社長を引き継いだ。本山氏は1955年の設立から32年間にわたりトップを務め[23]、家庭用LPガスの首都圏普及と都市ガス子会社網の形成という創業期の事業設計を主導した。32年という在任期間は上場企業の社長としては長期に属し、創業者の長男が筆頭株主家にとどまり経営は外部出身の元官僚社長に委ねる体制が、関東のLPガス・都市ガス供給網という安定事業との相性のなかで長く続いた。LPガスの家庭普及率は1990年頃までに7割を超え[24]、新規開拓余地が縮小する一方、設備保守と顧客維持を主軸とする事業構造が経営の保守性と整合した。
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [22]1987年6月 本山初代社長から石橋幸弘氏へ社長交代
- [23]本山修策氏は1955年設立から32年間トップを務めた
- [24]1990年頃までにLPガスの家庭普及率は7割を超えた
しかし1990年代後半に入ると、エネルギー業界の規制緩和をめぐる議論が国レベルで動き始めた。1995年には電気事業法の改正で電力小売部分自由化が決定され、ガス分野でも大口供給の自由化が1995年に始まった。1996年3月期の日本瓦斯の単体売上は数百億円規模で、関東の中堅エネルギー事業者として安定経営を続ける一方、規制下での地域独占に依存する収益構造の見直しを迫られる前夜にあたった。1955年の家庭用LPガス専業から始まり、関東一円の都市ガス子会社網を整備し、家庭エネルギー供給網を上場企業として運営する体制まで41年で築いたが、自由化という外部環境の構造変化が次の経営課題を経営陣の前に置いた。
- 日本瓦斯 有価証券報告書【沿革】
- [22]1987年6月 本山初代社長から石橋幸弘氏へ社長交代
- [23]本山修策氏は1955年設立から32年間トップを務めた
- [24]1990年頃までにLPガスの家庭普及率は7割を超えた