新日本石油ガソリンから石油化学基礎製品への生産構成の組み替えと、10年2000億円の製油所改造

連産品という制約のもとで、ガソリンを主産物から副産物へ落とす10年2000億円の改造

時期 2006年2月
意思決定者(推定) 渡文明(社長・のち会長)・小林俊和 副社長
論点 国内需要の縮小を前提とした製油所の生産構成
概要
新日本石油が2003年に打ち出し、2006年に全容が伝えられた製油所の改造計画。「ガソリンを極限まで搾る製油所」を、パラキシレンやプロピレンなど石油化学基礎製品を主生産物とし、電力・ガスの拠点も兼ねる製油所へ組み替える。完成の目標は2015年、10年間の投資額は2000億円以上を見込んだ。
背景
1996年の特石法廃止まで約20年続いた「ガソリン価格独歩高」の時代に組み上がった設備体系のもとで、国内の燃料油需要は伸びなくなっていた。2003年度の石油精製・販売部門の営業利益は18億円にとどまり、在庫評価益を除いた実力は赤字に近かった。
内容
パラキシレンの生産能力を2004年度実績の100万トンから2007年度140万トン、2010年度200万トンへ引き上げる。C重油は自家発電の燃料と分解によるプロピレン原料に回し、「ガソリン、パラキシレン、灯油、軽油、A重油、電力、プロピレン」という連産品の体系へ変える構想であった。
含意
原油を蒸留すれば軽い成分から順に出てくる以上、ガソリンだけを作ることはできない。石油をやめる判断ではなく、同じ蒸留塔から出てくるものの売り先を組み替えて、償却の進んだ設備の価値を上げる判断であった。
筆者の見解

蒸留塔から出てくるものの、売り先を変える

原油を蒸留すれば軽い成分から順に出てくる以上、ガソリンだけを作る製油所は存在しえない。改造はこの制約から始まっている。渡文明社長が「C重油の処理をしないと石油精製は成り立ちません」と語ったとおり、売れなくなる成分を抱えたままでは装置全体が回らない。C重油を燃やして電力にし、分解してプロピレンにし、ヘビーナフサからガソリンではなくパラキシレンを多く取る。脱ガソリンと呼ばれた判断の実体は、石油からの離脱ではなく、同じ蒸留塔から出てくるものの売り先の組み替えであった。

組み替えだけで設備の余りが解けたわけではない。仙台の一件は当初300億〜400億円の想定が600億円に膨らみ、2008年3月期には280億円の実質経常赤字が見込まれた。同じ2008年に西尾進路社長が「製油所のスクラップも視野に入っている」と述べたことは、出口を変えて価値を上げる道と、設備を閉じる道の併用を避けられなかったことを示している。追加投資で償却の進んだ製油所の価値が上がるという竹内敬三所長の見立ては、すべての製油所に等しく当てはまるものではなかったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

ガソリンで稼ぐ設備体系の古び

新日本石油は国内に8カ所の製油所を持ち、うち7カ所が原油を処理するトッパー(常圧蒸留装置)を備えていた。一日あたりの原油処理能力は約122万バレルで、国内の処理能力のおよそ4分の1を占める。この設備体系は、1996年の特石法廃止まで約20年続いた「ガソリン価格独歩高」の時代に組み上がったもので、製油所でガソリンを極限まで搾り、それを売るためにSS(給油所)を増やす形をとっていた。前提であるはずの国内の燃料油需要は、すでに伸びなくなっていた[1]

収益の数字は、その古びを先に映していた。2003年度の石油精製・販売部門の営業利益はわずか18億円で、翌2004年度は993億円へ急増したものの、うち607億円は原油高による在庫評価益であった。2005年度の予想営業利益880億円にも900億円の在庫評価益が含まれ、それを除けばトントンか赤字になる。同じ2003年度、石油化学部門は602億円を稼いでいた。ガソリンの販売シェア25%を持つ主力事業が、この利益しか残せなくなっていた[2]

連産品という制約

もっとも、ガソリンで稼げないからガソリンをやめる、という話にはならない。原油を常圧蒸留装置に入れて下から加熱すると、軽い成分から順に、ガス、LPガス、ガソリン・ナフサ留分、灯油、軽油、残油と出てくる。ガソリンだけを取り出すことはできず、出てきた成分にはすべて売り先を用意しなければならない。渡文明社長は「石油精製は連産品なので、ガソリンや軽油だけを生産することはできません」と述べ、なかでもC重油の処理を石油精製が成り立つ条件に挙げている[3][4]

そのC重油は、高度成長期には電力用・産業用の花形でありながら、2005年には石油製品の10%程度まで比率を落とし、2030年には4〜5%まで減ると見込まれていた。設備を閉じる手はすでに使っていた。渡社長は、新潟・川崎・沖縄・下松の4製油所を閉め、業界の先頭に立って余剰設備を廃棄してきたと語っている。「着物はブカブカになりますが、それを有効利用する手段があるなら、生かせばいい」——閉じるだけではない道を探す位置に、同社は立っていた[5][6]

決断

石油化学基礎製品を主生産物にする

製油所の改造計画を打ち出したのは2003年で、そのための投資額は約2000億円と見積もられた。完成の目標は2015年、10年間の投資は2000億円以上にのぼる。小林俊和副社長はねらいを「ガソリンではなく石油化学製品を極限まで搾り取る製油所に転換する」と説明し、「それをしないと、石油元売りが今後生き残ることは難しい」と続けた。ガソリンを主生産物、石油化学基礎製品を副生産物としてきた関係を、そのまま裏返す構想であった[7]

柱に据えたのはパラキシレンとプロピレンであった。パラキシレンの生産能力は2004年度実績の100万トンから、第三次中期経営計画の最終年度である2007年度に140万トン、2010年度には200万トンへ引き上げる構想を置いた。同社は国内首位、世界でもエクソンモービルに次ぐ2位のメーカーにあたる。小林副社長は「パラキシレンを多くとろうとすると、ガソリンの生産が減る関係にある」としたうえで、ガソリンの供給責任は果たすと付け加えている[8]

連産品の体系を書き換える

渡社長は、この改造を連産品の体系そのものの書き換えとして説明した。「これまでの精油所は、ガソリン、灯油、軽油、A・C重油という連産品の体系ですが、これからは、ガソリン、パラキシレン、灯油、軽油、A重油、電力、プロピレンという体系に変えます」。7カ所の製油所のうち5カ所には発電所を建て、70万キロワットの能力をすでに持っていた。売れなくなるC重油を燃やして電力に変え、あるいは分解してプロピレンにする方式は特許も取り、サウジアラビアの製油所で実用の段階に入っていた[9]

手本は社内にあった。旧三菱石油の水島製油所は、三菱化学水島事業所とパイプラインで結ばれ、石油精製と石油化学が一体で動く、同社で唯一の製油所であった。原油処理能力は日量25万バレルと根岸製油所より25%小さいのに、利益貢献は上回るとされる。竹内敬三所長は改造を「ビルの間仕切りを変えて、新しいテナントを入れるようなもの」と呼び、追加の投資によって償却の進んだ製油所のキャッシュフローが上がり、価値が高まると述べた[10][11]

比べる相手も入れ替わった。ガソリン独歩高の時代に手本であったエクソンモービルの日本法人に代わり、石油化学を主力に据えた製油プラントを持つオーストリアのOMV社が参照の対象になった。国内では、1991年に350億円を投じて芳香族系の基礎製品の増産へプラントを改造した太陽石油が先例にあたる。生産量では石油製品が9割を占めながら、2004年度の経常利益204億円の過半は石油化学部門が出していた[12]

結果

仙台から始まった改造と、膨らむ投資額

改造は仙台製油所から始まった。パラキシレンとプロピレンの増産のためにCCR、ベンゼン抽出装置、プロピレンスプリッターを建て、あわせて副生ガスを使う自家発電設備も置く。2007年度の完成を予定し、投資額は600億円となった。当初は300億〜400億円で足りると見ていた設備である。長く業界全体が設備投資を抑えたために供給者が減ったところへ中国の投資ブームが重なり、プラント価格が急騰していた[13]

2006年7月、新日本石油はジャパンエナジーとの業務提携を発表した。目玉は、水島コンビナートで海底パイプラインにつながる両社の水島製油所を、一体で運営することであった。新日本石油が石油化学製品への特化をさらに進め、そのぶん不足する石油製品をジャパンエナジー側が補って増産する。両社を合わせた水島の精製能力は日量45万バレルに達する。連産品の帳尻を自社の設備の内側だけで合わせる必要は、ここで薄れた[14]

需要縮小の現実化と、設備そのものの整理

需要の縮小は、構想が語られた時点より早く形になった。ガソリンの国内販売は2005年をピークに2年続けて減り、2007年には6000万キロリットルを割り込む。同じ年の原油処理量から一日あたりの需要をはじくと400万バレル程度で、国内製油所の原油処理能力は日量約480万バレルにのぼった。価格転嫁も追いつかず、2008年3月期の新日本石油は280億円の実質経常赤字を見込んでいた[15]

2008年3月、新日本石油は九州石油を同年10月をめどに事実上吸収合併すると発表した。九州石油の大分製油所は石油化学製品も生産しており、競争力は高いと評価された。一方で西尾進路社長は「製油所のスクラップも視野に入っている」と述べている。出口を組み替えて設備の価値を上げる改造と、設備そのものを減らす整理とが、ここから並んで走った[16]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「もうガソリンでは儲からない!? 新日本石油の大改造 石油化学製品へ急旋回」
  • 週刊東洋経済 2005年6月18日号「Key person 新日本石油社長 渡文明 これから原油価格は45ドルから50ドルが地相場になる 石油精製は化学と電力を取り込む」
  • 日経ビジネス 2004年8月30日号「編集長インタビュー 渡文明氏[新日本石油社長]中国から目を離さない」
  • 週刊東洋経済 2006年9月16日号「業界再編 製油所提携で浮き彫り 新日石「大連合」の野心」
  • 週刊東洋経済 2008年4月12日号「新日石、出光の国内2強動く 激動の石油業界 元売りサバイバル」
  • 新日本石油 有価証券報告書(2006年3月期・連結)

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