芝浦メカトロニクス東芝メカトロニクスとの合併による液晶製造装置への参入と芝浦メカトロニクスへの社名変更

時期 1998年5月
意思決定者(推定) 株式会社東芝・取締役会 親会社
論点 主力事業の転換と社名変更
概要
1998年5月12日に東芝が発表した再編スキームに沿って、同年10月1日、芝浦製作所が東芝グループの東芝メカトロニクスを吸収合併し、商号を芝浦メカトロニクス株式会社へ変更した経営判断。同じ月に主力の家電用モータ事業を新会社の芝浦電産へ営業譲渡し、半導体・液晶製造装置を柱とする会社へ移った。
背景
芝浦製作所のモータはエアコン向けを中心に国内シェア約4割を占めたが、需要は前年比20%前後の減少が見込まれ、好調な年でも収支の均衡がやっとであった。1997年度はモータ部門の6億円の赤字を、半導体関連部門の16億円の黒字が埋めていた。
内容
液晶パネル製造装置に強い東芝メカトロニクスを吸収合併し、自動機システム事業部・メカトロ機器事業部・さがみ野事業所として継承。東精エンジニアリングを子会社化した。新会社の売上高は1998年3月期の単純合計で約520億円(旧芝浦製作所のモータ部門を除く分が約290億円、東芝メカトロニクスが約230億円)となった。
含意
1939年に東京芝浦電気の兵器・機械部門を切り出して生まれた会社が、半世紀余り支えたモータを手放し、社名から『製作所』の三文字を外した。1998年に社名変更を実施・予定した上場・店頭公開会社33社の一例として、同時代の誌面にも記録された。
筆者の見解

社名を返上した側の勘定

1997年度のモータ部門が出した6億円の赤字を、半導体関連部門の16億円の黒字が埋めていた。数字だけを見れば整理の対象ははっきりしていたが、切り離す相手は東京芝浦電気の『芝浦』の由来にあたり、東芝の重電部門の本流でもあった会社である。株式の61.6%を握る東芝は、その中身をモータから製造装置へ入れ替える側に回った。

ただし、この入れ替えが実を結んだと言えるのは、その後の数字を知っているからにすぎない。装置に絞った会社は2002年3月期・2003年3月期に連続赤字を出し、合併時に掲げた海外売上高比率50%前後という目標も2006年3月期は39.5%にとどまった。それでも2005年3月期の売上高885億円は、合併時に単純合計で520億円とされた規模の1.7倍にあたる。1939年に東芝の兵器・機械部門として切り出された会社は、59年後に東芝への部品供給元であることをやめている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

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出典・参考
  • 芝浦製作所 30年のあゆみ(ダイヤモンド社・1969年)
  • 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
  • 産業と経済 52巻10号(プリントワン・1998年)
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書(2006年3月期・連結)

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