芝浦メカトロニクス自販機・モータ応用機器など非中核事業の本体外への切り離しと製造装置への集中

時期 2001年1月
意思決定者(推定) 取締役会
論点 非中核事業の分離と本体の事業構成
概要
1998年10月のモータ応用機器事業部の分離を皮切りに、1999年4月の自販機20営業所の業務移管、2001年1月の自販機事業の営業・サービス移管、2001年10月の小浜工場製造部門の移管、2005年4月のグループ会社統合まで、量産と販売の機能を段階的に子会社へ移し、本体を製造装置に絞った経営判断。
背景
1990年代の芝浦製作所は、家電用モータやたばこ自販機などの量産・販売型の事業と、受注生産の製造装置を同じ会社の中に抱えていた。1997年度はモータ部門の6億円の赤字を半導体関連部門の16億円の黒字が埋めており、事業ごとに収益力が大きく違っていた。
内容
モータ事業は営業譲渡価額30億円で新会社の芝浦電産へ移り、子会社を含む800人がそのまま移籍した。自販機は販売子会社の芝浦自販機へ、小浜工場の製造部門は芝浦イーエムエスへ移管し、2005年4月に芝浦自販機を存続会社として両社を合併した。
含意
2006年3月期の連結売上高749億円のうち、液晶・半導体製造装置のファインメカトロニクス部門が538億円で72%を占めた。1985年3月期に売上の55%を占めた回転電気機械は部門として消え、自販機は流通機器システムとして子会社側に残った。
筆者の見解

量産を外に出した7年

本体に残す条件は、開発と組立で値を付けられるかどうかであった。営業譲渡価額30億円で芝浦電産へ移った800人は、日本電産の永守重信社長が営業の訪問件数を月20件から月120件へ改めると語る会社の一員となる。自販機の営業とサービスは1993年に設立していた芝浦自販機へ、小浜工場の製造は芝浦イーエムエスへ移された。同じ会社の中で資金と人員を分け合っていた性格の違う事業を、7年かけて法人の境目で仕分けている。

ただ、外へ出した事業がすべてグループから消えたわけではない。自販機は流通機器システム部門として連結に残り、2006年3月期も売上高70億円・営業利益10億円を稼いでいる。反対に、1998年10月に40%を出資して設立した芝浦電産は、2006年3月期の沿革で現・資本関係無と注記されるところまで縁が切れた。同じ切り離しでも持ち続けたものと手放したものがあり、その差は当初の設計より移した先の事情に左右された面があるかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

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出典・参考
  • 芝浦製作所 30年のあゆみ(ダイヤモンド社・1969年)
  • 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
  • 会社年鑑 1986年版
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書(2006年3月期・連結)

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