芝浦メカトロニクス東芝による保有株式の段階的な処分と芝浦メカトロニクスの独立企業化

発祥企業を系列に残すか、資本の縁を切るか——2018年と2023年の二段階で解かれた東芝との関係

時期 2023年8月
意思決定者(推定) 今村圭吾・株式会社東芝(株式売却の主体) 社長
論点 親会社の資本からの離脱と株主構成の再編
概要
1939年の設立以来、芝浦メカトロニクスの大株主であり続けた東芝が、2017年12月から2023年9月にかけて保有株式を二段階で処分し、資本関係を解消した経営判断。2018年1月の第1段階で持株比率は36.54%から約10%へ下がり、2023年8月の第2段階で東芝は保有全株を売り出した。
背景
芝浦メカトロニクスは東京芝浦電気の兵器・機械部門を1939年に分離して設立された会社で、東芝は1992年時点で61.6%、2016年3月期でも36.54%を保有していた。2017年3月期に東芝はウエスチングハウスの破綻で1兆円規模の最終赤字と債務超過に陥り、非中核の保有資産の整理を進めた。
内容
2017年12月4日、東芝は最大26.54%の売却を発表し、翌年1月に約52億円で信越エンジニアリング・ニューフレアテクノロジー・芝浦メカトロニクスへ譲渡した。2023年8月22日には東芝など3社が計70万3500株(発行済株式数の約15%・約175億円)を売り出すと発表し、東芝は保有全株を手放した。
含意
半導体分野の業務提携は継続する一方で、資本の関係は84年で終わった。2024年3月期末の大株主から東芝の名前が消え、株主数は4,258名から11,912名へ増えた。売上高は2023年3月期の610億円から2026年3月期の880億円へ伸びている。
筆者の見解

売る側の都合で決まった二段階

この判断の主語は、終始、東芝であった。1939年に自ら切り出した会社の株を、東芝は原子力事業の破綻で開いた穴を埋めるために換金した。2018年の売却が持分法から外れる約10%で止まり、残る11.73%が5年半後まで残されたのは、芝浦メカトロニクス側の事情ではない。一度に放出すれば需給が崩れるという市場の制約と、東芝自身の再建日程が、処分を二段階に分けた。売られる側にできたのは、36億円の自己株式取得で受け皿を作ることと、価格が決まるまで株価の変動を眺めることであった。

それでも、売られた後の数字は伸びている。2023年3月期に610億円だった売上高は3年で880億円へ届き、営業利益率は17%を超えた。東芝の系列という説明を必要としない相手から受注を積んだ結果である。筆頭株主の欄から東芝が消えた2024年3月期、株主数は4,258名から11,912名へ増えた。84年にわたり一社が持ち続けた株式は、一万人を超える保有者へ散った。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

東芝が切り出した会社という出自

芝浦メカトロニクスは、東芝が自ら切り出した会社であった。1939年10月、東京芝浦電気が兵器・機械部門を分離して株式会社芝浦京町製作所を設立した際、東芝は98%にあたる9万8800株を引き受け、残る1200株も東芝の関係者が分け持った。横浜市鶴見区の東芝鶴見工場の建屋を借り、従業員600名も東芝から引き継いで同年12月に操業を始めている。同月には商号を株式会社芝浦製作所へ改めた。1969年10月の東証二部上場を経ても東芝は大株主にとどまり、1992年時点の保有比率は61.6%であった[1][2]

その資本の関係に最初の変化が生じたのは1998年であった。東芝はこの年、赤字の続いたモータ事業を分離して日本電産へ実質的な経営権を譲り、残る半導体・液晶製造装置事業を東芝メカトロニクスとの合併で束ねて、商号を芝浦メカトロニクスへ改めた。同時代の誌面は、この再編を発祥企業の「解体」と呼び、重電を基盤とする企業からエレクトロニクス企業への脱却を試みる象徴と位置づけている。売却されたのは事業であって株式ではなかったが、東芝が芝浦の名を整理の対象に据えたという点で、後の資本処分の前段にあたる出来事であった[3][4]

36.54%という距離と、東芝の債務超過

事業の再編を終えた後も、株式の持ち分は動かなかった。東芝の保有比率は36.54%(1897万7000株)のまま2016年3月期まで据え置かれ、議決権では直接38.5%・間接0.6%を占めた。連結子会社ではないが、有価証券報告書は東芝を「その他の関係会社」として関連当事者に挙げ、2017年3月期には製造装置等の販売と建物等の賃貸で24億1400万円の取引があり、期末の長期預り保証金は30億3400万円に達していた。資本でも取引でも、芝浦メカトロニクスは東芝グループの内側に置かれていた[5][6]

動かなかった持ち分を動かしたのは、東芝自身の危機であった。2017年3月29日、東芝は傘下の米原子力大手ウエスチングハウスなど2社が米連邦破産法11条の適用を申請したと発表し、2017年3月期の連結最終損益が最大で1兆100億円の赤字となる可能性を明らかにした。国内製造業として過去最大の赤字となる見通しで、東芝は債務超過に転落した。上場維持のための資本増強と並行して、東芝は非中核の保有資産を換金する作業に入っている。芝浦メカトロニクス株もその対象に含まれた[7]

決断

第1段階——持分法適用からの離脱

2017年12月4日、東芝は芝浦メカトロニクス株式の一部を売却すると発表した。売却するのは最大26.54%分で、4日終値で計算した売却額は約48億円であった。翌2018年1月15日、東芝は約26.54%を約52億円で売却すると正式に発表する。これにより東芝の持株比率は36.54%から約10%へ下がり、芝浦メカトロニクスは持分法適用会社から外れた。売却先は信越化学工業の100%子会社である信越エンジニアリング、東芝の連結子会社であるニューフレアテクノロジー、そして芝浦メカトロニクス自身の3者であった[8][9]

売却後の2018年3月期末の大株主欄には、東芝11.73%に続いて信越エンジニアリング5.86%とニューフレアテクノロジー5.86%が並んだ。単独の大株主が全体の3分の1を握る構図から、複数の事業会社が5%台で分け持つ構図へ組み替わっている。同じ年度の関連当事者は東芝ではなく、東芝から分社した東芝メモリに変わり、製造装置等の販売と建物等の賃貸で20億2200万円の取引が記録された。持ち分の後退と、取引相手の分社化が同じ時期に重なった[10][11]

第2段階——残る全株の売り出し

5年半後の2023年8月22日、芝浦メカトロニクスは筆頭株主である東芝などの株主3社が計70万3500株を売り出すと発表した。発行済株式数の約15%にあたり、22日の終値で換算した売却額は約175億円になる見通しであった。東芝は11.76%にあたる保有全株を手放し、手取りは約130億円が見込まれた。売り手には東芝のほか、東芝の子会社であるニューフレアテクノロジーと東芝インシュアランスサービスが並んだ。芝浦メカトロニクスとニューフレアが2017年に結んだ資本の関係はこれで解け、半導体分野の業務提携は続けるとされた[12][13]

発行済株式数の15%が一度に市場へ出れば、需給は崩れる。芝浦メカトロニクスは売り出しの発表と同時に、36億円を上限とする自己株式取得を決めた。売り出し価格は8月29日から9月1日までのいずれかの日の終値を基準に決める方式が採られ、価格が固まるまでの1週間、株価は売り圧力の見込みにさらされた。売られる側にできたのは、自社の資金で受け皿を用意することであった[14]

結果

上場来高値と、主要株主の異動

需給の悪化を見込んでいた相場は、売り出し価格が決まると逆へ振れた。2023年8月30日の東京株式市場で芝浦メカトロニクス株は一時前日比4,240円(18%)高の2万8070円まで上昇し、上場来高値をつけた。29日の取引終了後に売り出し価格が発表され、株価下落を期待して信用売りしていた投資家の買い戻しが広がったためであった。売り出しの発表直後には10%安まで売られていた株価が、価格確定を境に高値へ振れている[15]

売り出しの受け渡しを終えて、芝浦メカトロニクスは2023年9月5日付で主要株主の異動に関する臨時報告書を提出した。2024年3月期末の大株主は日本マスタートラスト信託銀行(信託口)9.61%、信越エンジニアリング5.92%、日本カストディ銀行3.02%で、東芝の名前は消えている。株主数は前期末の4,258名から11,912名へ、個人株主の持株比率は37.24%から47.32%へ上がった。同年10月1日に1株を3株とする株式分割も実施しており、株式の単価と数量の両面で保有者の裾野が広がった[16][17]

独立後の業績と、残された東芝との接点

資本の関係が解けた後、業績は伸びた。連結売上高は2023年3月期の610億円から2026年3月期の880億円へ、営業利益は109億円から153億円へ拡大している。牽引したのは半導体製造装置で、2025年度はウェーハプロセス向け高温リン酸エッチング装置が149億円、先端パッケージ向けボンダを含むフリップチップボンダが266億円の売上を計上した。受注高は全体で877億円に達し、半導体後工程の先端パッケージ向けが伸びを支えた[18][19]

ただし、東芝との縁がすべて断たれたわけではない。2024年3月期の有価証券報告書は、研究開発にあたり東芝グループおよびビジネスパートナーとの連携・協力関係を保つと記している。労働組合は東芝グループ労働組合連合会に属したままであり、今村圭吾社長は1985年4月に東芝へ入社し、1996年8月に芝浦メカトロニクスへ移った経歴を持つ。株式の保有関係が消えた後も、技術と人の往来は組織の内側に残った[20][21]

出典・参考

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