キヤノン 東芝メディカルの買収 6,655億円を投じた買収と、医療事業への本格的な参入
更新:
何をなぜ決めたか
- 概要
-
2016年、キヤノンは経営再建中の東芝から医療機器子会社の東芝メディカルシステムズを6,655億円で買収した。CT装置で国内首位の同社を得て、医療を次の主力に据える事業転換であった。ただ、各国の競争法当局の承認を待たずに代金を東芝へ払い込む手法を用いたため、公正取引委員会は買収そのものは承認しつつ、その手法に異例の"注意"を行った。
- 背景
-
リーマン・ショック後、キヤノンの祖業であるカメラはスマートフォンに市場を侵食され、収益を支えてきた複写機やプリンターの事務機も伸びが鈍っていた。社内で育てた新規事業も未成熟のなか、御手洗冨士夫会長兼社長CEOは巨額のM&Aによる事業転換を探った。折しも、不正会計で経営危機に陥った東芝が、数少ない優良事業である医療子会社の売却に動いた。
- 内容
-
キヤノンは2016年3月17日に東芝と株式等譲渡契約を締結し、東芝メディカルの全普通株式を取得することを目的とする新株予約権を現金で取得した。同日、その対価として総額6,655億円の払い込みを完了している。新株予約権の行使は各国の競争法当局の承認を条件としており、それまでキヤノンは株主総会の議決権を含め同社の活動を指図する力を持たなかった。承認がそろった同年12月19日に新株予約権を行使し、支配を獲得した。
- 含意
-
公取委は競争を制限するものではないとして買収を承認しつつ、事前届出前の一連の行為は制度の趣旨を逸脱し、独占禁止法第10条第2項に違反するおそれがあるとしてキヤノンに注意した。入札で敗れた富士フイルムは"アンフェア"と反発し、2019年には米司法省とも和解金を払った。買収で計上したのれんは確定値で4,920億円に達し、キヤノンの連結のれんは前期の4,789億円から9,364億円へ倍増した。
いつ何が起きたか 8件
筆者の見解
事業転換の必然と、手段の際どさ
この買収の核心は、停滞する本業をどう越えるかという問いに、キヤノンが社外の巨額買収という答えを出した点にある。祖業のカメラがスマートフォンに削られ、事務機の成長も鈍るなか、光学と精密機械の技術が生きる医療機器へ本格的に参入する選択には、確かな合理があった。6,655億円という価格は過去最大級で、識別可能な純資産1,734億円に対し4,920億円ののれんが残ったが、東芝の危機という好機がなければ、優良な診断画像の事業を一括して取得することは難しかった。事業転換の方向として、この判断は理にかなっていた。
残るのは、手段の是非である。独占禁止法の事前届け出は、競争への影響を当局が前もって確かめる仕組みであり、その前に代金を動かす株式の組み替えは、制度が想定した順序を先回りするものであった。公取委が違反とは断じずに"注意"にとどめ、富士フイルムがアンフェアと憤り、のちに米司法省が和解金を科した結末は、この手法が白とも黒とも言い切れない際どさを抱えていたことを物語る。事業転換の必然と、それを急ぐ手段の正しさは、分けて問われる。売り手の決算の都合に買い手がどこまで合わせてよいのか——医療という新たな収益源を得たこの買収は、成果と手続きの緊張を今も残している。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
業績の推移
買収の条件
買収の条件
| 科目 | 概要 | 備考 |
|---|---|---|
| 被取得企業 | 東芝メディカルシステムズ㈱ | X線診断装置、CT装置、MRI装置、超音波診断装置などの医療機器メーカー |
| 譲渡企業 | ㈱東芝 | 株式等譲渡契約の相手方。全普通株式を譲渡した |
| 取締役会の決議日 | 2016年3月17日 | 同日に株式等譲渡契約を締結した |
| 取得の法的形式 | 新株予約権の取得と行使 | 全普通株式の取得を目的とする新株予約権を、現金を対価として取得した |
| 対価の払込日 | 2016年3月17日 | 取締役会の決議と同日に、総額6,655億円の払い込みを完了している |
| 新株予約権の行使条件 | 競争法規制当局のクリアランス | 取得までは議決権を含め、同社の活動を指図するパワーを有していない |
| 支配獲得日 | 2016年12月19日 | クリアランス取得の完了を受けて新株予約権を行使し、全普通株式を取得 |
| 取得対価 | 665,498百万円 | 全額が現金。取得関連費用は発生時に費用として計上し、重要性はない |
| 資金の調達方法 | 6,600億円の銀行借入 | 2016年3月15日に締結。当初の返済期限は2016年9月30日としていた |
| 借入残高 | 610,000百万円 | 2016年12月31日現在、利率0.13%。2017年1月31日に借り換えた |
| 取得資産計 | 463,986百万円 | 暫定値465,321から測定期間に1,335減じた確定値 |
| 引受負債計 | 289,528百万円 | 暫定値291,454から測定期間に1,926減じた確定値 |
| 識別可能純資産 | 173,411百万円 | 非支配持分1,047を控除した後。暫定値172,820から591増えた |
| のれん | 492,087百万円 | 2017年第4四半期に確定。暫定値492,678から591減った |
| のれんの発生原因 | 事業統合によるシナジー効果 | 新分野への進出の加速、生産技術の共有、開発力強化による事業領域の拡大 |
| のれんの税務上の取扱い | 損金算入できない見込み | 米国会計基準のため、のれんの規則的な償却は行わない |
| 取得した無形固定資産 | 228,127百万円 | 顧客関係143,600、特許権及び技術資産73,000。いずれも償却対象 |
| 無形固定資産の償却年数 | 顧客関係15年・特許権10年 | 全体の加重平均は約13年。暫定では顧客関係を15〜20年としていた |
| 企業結合を行った主な理由 | ヘルスケア事業を次世代の柱の一つに | 5カ年計画フェーズVの「新規事業の強化拡大と将来事業の創出」に位置づけ |
| 連結した売上高 | 13,582百万円 | 支配獲得日以降の分。連結純利益への影響に重要性はない |
| 通期換算した売上高 | 3,806,667百万円 | 期首に結合したと仮定した第116期のプロ・フォーマ売上高。非監査 |
出所:キヤノン株式会社 有価証券報告書 第115期(2015年12月期)【重要な後発事象】/第116期(2016年12月期)・第117期(2017年12月期)【買収】【短期借入金及び長期債務】
連結のれんと、メディカルに配分されたのれん
キヤノン:連結のれんと、メディカルに配分されたのれん
| (百万円) | のれん | うちメディカル | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2011年12月期 | 119,021 | − | 当時のセグメントはオフィス・イメージングシステム・産業機器その他の3つ |
| 2012年12月期 | 130,843 | − | |
| 2013年12月期 | 161,640 | − | |
| 2014年12月期 | 211,336 | − | |
| 2015年12月期 | 478,943 | − | 当期取得額270,567。アクシス社などの買収による増加を含む |
| 2016年12月期 | 936,424 | 492,678 | 取得価額の配分が暫定のため、のれんはセグメント未配分のまま置かれた |
| 2017年12月期 | 936,722 | 499,915 | 配分の確定で492,087となり、メディカルシステムへ組み替えた |
| 2018年12月期 | 908,511 | 500,896 | |
| 2019年12月期 | 898,661 | 508,907 | |
| 2020年12月期 | 915,564 | 506,513 | |
| 2021年12月期 | 953,850 | 537,183 | 当期取得額28,826はすべてメディカルに計上した |
出所:キヤノン株式会社 有価証券報告書 第112期〜第121期【のれん及びその他の無形固定資産】
メディカルセグメントの売上高と営業利益
キヤノン:メディカルセグメントの売上高と営業利益
| (百万円) | 売上高 | 営業利益 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2017年12月期 | 434,985 | 22,505 | メディカルシステムを報告セグメントとして立てた最初の期 |
| 2018年12月期 | 437,305 | 28,839 | |
| 2019年12月期 | 437,456 | 26,744 | |
| 2020年12月期 | 435,368 | 25,244 | |
| 2021年12月期 | 480,029 | 29,420 | 報告セグメントの名称をメディカルへ改めた |
出所:キヤノン株式会社 有価証券報告書 第117期〜第121期(事業の種類別セグメント情報、外部顧客向け売上高・営業利益)
同じ問いに直面した会社
同じ問いに直面した会社
参考文献
- 公正取引委員会(2016年6月30日)「キヤノン株式会社による東芝メディカルシステムズ株式会社の株式取得について」
- 「キヤノン株式会社 有価証券報告書 第115期(2015年12月期)」
- 「キヤノン株式会社 有価証券報告書 第116期(2016年12月期)」
- 「キヤノン株式会社 有価証券報告書 第117期(2017年12月期)」
- 「キヤノン株式会社 有価証券報告書 第112期〜第121期」