この判断の意味は、断念した事業の穴を埋める代替品を得たことにとどまらない。輸入品しかなかったpH計を、湿度の高い日本で使えるものへ作り替えた技術が、その後の会社の進路を決めた。センサーは自社で開発し周辺は外部に委ねるという分業は、pHメータの開発でつかんだ手応えから生まれ、赤外線分析計へ、やがて自動車排ガス測定装置へと受け継がれていったとみられる。
一つの製品の国産化が、赤外線分析計という第2の柱を呼び、大手電機との対等な提携を呼び込んだ。輸入代替という当時の課題が、独自の測定技術を磨く動機として働いた点にこの時期の特色がうかがえる。何を自社で持ち、何を外に委ねるかという線引きは、後年の連続買収による事業拡大に至るまで、堀場の経営に繰り返し現れる問いとなった。