18年を投じた自社創薬という判断そのものは、当時の三共にとって合理的であった。導入品と農薬を並べる総合会社のままでは、1970年代半ばに露呈した利益率の弱さを直せない。誤算があったとすれば、メバロチンが想定を超えて売れたことのほうだっただろう。一品で総売上の4割を稼ぐ状態は、社内の資源配分も研究の優先順位もその一品に引き寄せる。第二の柱を作る時間は、成功の大きさに比例して短くなった。三共が特異だったのは依存の深さであって、依存そのものではない。
2005年の統合は、経営の失敗の帰結としてだけでは読めない。スタチンを世に出した会社が、自ら生んだ市場で米ファイザーに首位を奪われ、特許という制度上の期限に追われた。同じ構造は、単一の大型薬に依存する会社なら誰の身にも起こる。第一製薬との株式移転の経緯は第一三共の判断として別に記録されている。統合を選ばざるをえない位置まで三共を運んだのは、16年前に自ら世に出した一品であった。メバロチンは第一三共に引き継がれ、2005年11月に日本人約8000人の市販後調査の結果が米国心臓協会で発表された。