シャープ 液晶電卓EL-805発売 電卓の価格競争から降り、半導体と液晶という独自デバイスに賭けた転進
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1964年に世界初のオールトランジスタ電卓CS-10Aで電卓時代を開いた早川電機工業(現・シャープ)が、カシオ計算機らとの安売り競争のなかで価格の消耗戦から降り、半導体の内製化(1970年 天理・総合開発センター)と液晶(1973年 世界初の液晶電卓EL-805)という自前のデバイスへ技術を寄せた判断。
- 背景
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電卓市場には1969年までに18社が参入し、計算能力1桁あたり1万円割れを焦点とする安売り競争が激化、採算悪化で生産を止めるメーカーも出た。先発のシャープも、価格だけで競い合う消耗戦の岐路に立った。
- 内容
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1970年に社名を早川電機工業からシャープへ改め、佐伯旭社長のもとで半導体を天理の総合開発センターで内製化した。LSIを米ロックウェル社から導入して自社生産へ切り替え、佐々木正氏らが低消費電力の集積回路と液晶を1枚のガラス基板にまとめるCOS方式を確立、1973年に単3電池1本で100時間動く世界初の液晶電卓EL-805を発売した。
- 含意
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『シャープは半導体投資でつぶれる』 との懐疑のなか、価格ではなく自前の基幹デバイスで差をつける道を選んだ。この液晶への投資が、のちに"液晶王国"と呼ばれた収益基盤の原点になった。
いつ何が起きたか 6件
筆者の見解
価格で競うか、自前の技術で差別化するか
この判断の核心は、優劣の見えない価格競争から降り、半導体と液晶という自前の基幹デバイスに技術と資金を寄せた点にある。電卓は、1桁1万円を割るかどうかを競う消耗戦に沈みつつあった。そこでシャープが選んだのは、より安く作る競争に踏みとどまることではなく、他社がまだ持たない部品を自分で作り、その部品で製品の中身に差をつける道だった。『シャープは半導体投資でつぶれる』と言われながら投資を続けた点に、目先の採算より技術の蓄積を優先する経営の色がにじむ。
もっとも、この選択は一本道の成功ではなかった。電卓の回路を発展させたマイコンでは米インテルに主導権を奪われ、後年の液晶への集中投資は、大型パネル工場への巨額投資と業績の急降下をへて、2016年の経営権の移動につながっていく。それでも、価格で消耗するより自前の技術で違いを作るという1970年代の選択が、"液晶王国"と呼ばれた時代の輝きと、その後の試練の双方の出発点になった。価格競争のさなかに独自デバイスへ賭けたこの決断は、技術で立つ企業が向き合い続ける問いを、早くに経営の中心へ据えた例といえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
業績の推移
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参考文献
- 読売新聞(1969年5月7日)
- 経済展望(1970年2月1日)
- 日経ビジネス 1975年4月14日号(日経BP)
- 日経ビジネス 1993年4月19日号(日経BP)
- シャープ公式サイト「液晶電卓開発物語とその進化」
- シャープ公式サイト 会社沿革(年表)
- 会社年鑑(1976年版)