この民営化は、国営事業が民間企業になった瞬間として語られやすい。しかし条件表を並べ直すと、見えてくるのはむしろ逆の構図であるように思われる。ゆうちょ銀行が手にしたのは銀行の看板であり、差し出したのは銀行としての自由度であった。貸付けも、子会社の保有も、合併も、まず認可を通さなければ動かせない。預かれる金額にすら上限が置かれた。国内最大の預金量を持ちながら、集めた資金を自ら貸すことは原則として認可の向こう側にある銀行が、こうして生まれた。
もっとも、この縛りは競争条件を均すための装置でもあり、規制が外れる条件は最初から法律に書き込まれていた。鍵は親会社の持株比率で、日本郵政が株式の2分の1以上を処分すれば認可は届出へと軽くなる。開業から18年を経て、その水準にようやく手が届いた。銀行になった日に受け入れた縛りを解く作業が、その後の経営の主題であり続けたと推察される。免許を得ることと、普通の銀行になることは、この会社にとって別の出来事であった。