この判断の中心にあるのは、事業を続けるために事業の中身を渡すという逆説である。早川氏が日本文具へ引き渡したのは、機械と特許48種と主だった職人——つまり繰出鉛筆の事業そのものであった。残ったのは債務の消えた身と、金属を扱う手の熟練だけであったといえる。もし特許を守り抜いて東京で再建していれば、本人が書いているとおり文具界で終始した可能性が高い。作るものを固守せず、作る力の方を持って移った選択が、結果として製品の乗り換えを可能にしたと推察される。
もう一つ考えさせられるのは、信用に頼った清算が残した代償である。書類を一つも交わさない紳士協定は、震災直後の混乱のなかでは合理的な速さを持っていたのかもしれない。しかし5年後の差し押さえと2年10カ月の訴訟は、鉱石ラジオで急伸していた時期の資金と時間を確実に削っている。手放した文具の名を受信機の銘に残しながら、その文具をめぐる清算の後始末を10年抱え続けた事実は、危機のなかの決断が一度で完結しないことを示している。再起の速さと、後から届く請求書——両者は同じ判断の表と裏であったようにみえる。