なぜ早川徳次氏は、元手5円で独立に踏み切れたのか。年季奉公を終えた職人は、奉公先で働き続けることもできた。それでも独立できたのは、自分で考えた尾錠と登録実用新案を手にしていたからである。尾錠を見せた相手から注文が入り、開業の40円も借りられた。下請けの賃仕事ではなく、自分の製品を持って始めた点が、この創業の芯だったと思われる。3年後の繰出鉛筆も、同じく自分で考えた製品だった。
もっとも、その強みは東京の一か所に工場と住居を集めた個人の事業という前提の上に立っていた。早川兄弟商会は11年で約200人を雇うまでになったが、会社組織にはなっていなかった。工場も本所の林町と押上に集まっていた。1923年9月の関東大震災は、その工場と家族を同時に奪った。考案品で伸びた事業ほど、考案者と工場が失われたときに立て直す手段が少なかったとみられる。
創業は部分的な成功だったと言える。文具の事業としては、1915年の繰出鉛筆から震災までの8年で約200人の規模に達しながら、1923年に解散して終わった。他方、自分で考えた製品から事業を始める型は残った。翌1924年9月には大阪でラジオ受信機の製作に入り、1935年5月に資本金30万円で株式会社となった。そして1970年1月、繰出鉛筆の名が社名の「シャープ」になった。