電通総研GE由来の祖業を閉じ、電通単独親会社体制へ移った資本と事業の整理

米GEのネットワークを売る会社として生まれた会社が、そのネットワークを手放して何を残したのか

時期 2003年3月
意思決定者(推定) 瀧浪壽太郎 社長
論点 合弁相手との資本・事業関係の去就
概要
2003年3月、電通国際情報サービスが設立以来の祖業である国際遠隔情報処理サービスの提供を終了した。米国General Electric Companyのネットワーク設備に依存した事業をたたむ判断で、資本の側でも、2000年11月の上場時に23.6%を持っていたGE Information Services, Inc.が、2006年3月末の大株主から姿を消した。
背景
同社は1975年に電通66%・GE34%の合弁として設立され、GEが所有・運営する情報通信ネットワークによる国際遠隔情報処理サービスの販売を目的としていた。1990年代半ばに主力はオープン系のシステムインテグレーションへ移り、汎用ホストのタイムシェアリング・サービスは残務に近づいていた。
内容
2003年3月期の連結売上高は708億円、経常損失15億円、当期純損失20億円。祖業の終了は、この赤字決算と同じ期に重なった。2006年3月31日現在の大株主は電通が20,129千株・61.76%で、上場直後の水準より比率が上がっている。
含意
社名に残った「Dentsu」だけが実態と一致し、「International Information Services」の由来であるGEのネットワーク事業は消えた。以後の同社は、電通1社を親会社に持つ国内システムインテグレータとして、プライム・コントラクターの地位を争う会社になった。
筆者の見解

借りた技術で始めた会社が、返す先を失うとき

この会社は、他社の設備を売る代理人として生まれた。GEのネットワークと電通の顧客をつなぐ役どころで、社名の「International Information Services」はその役どころの説明にあたる。ゆえに祖業の終了は、単なる不採算事業の整理では済まない。売る商品を自分で作る会社に変わらなければ、存在の理由が残らなかった。2003年3月期の損失は、その組み替えの途中に出た数字とみることができる。

資本の側にも同じことが起きた。合弁相手が去った理由は開示に残らないが、GEにとってこの会社は自社ネットワークの日本の販売窓口であり、そのネットワークを畳めば持ち続ける根拠も消える。残された電通は比率を6割超へ上げ、以後20年その水準を動かさなかった。借りた技術で始めた会社が、貸し手を失って親会社1社の内側に収まる——1975年の合弁比率66対34は、いまや61.8対38.2という別の綱引きに置き換わっている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

GEのネットワークを売るために作られた会社

電通国際情報サービスの設立目的は、有価証券報告書の沿革にそのまま書かれている。1971年10月に電通が設けたタイムシェアリング・サービス局の事業を引き継ぎ、米国General Electric Companyが所有・運営する情報通信ネットワーク設備による国際遠隔情報処理サービスを販売することであった。技術も回線もGEのもので、電通は顧客を持ち込む。1975年12月の設立時、出資は電通66%、米ゼネラル・エレクトリック34%に分かれていた。合弁の分担がそのまま事業の中身であった[1][2]

この分担は1990年代に崩れた。汎用ホストへ端末をつないで計算資源を分け合うタイムシェアリング・サービスは、パソコンとインターネットの普及で顧客を失った。同社は1990年代半ばからシステムインテグレーションへ主力を移し、1997年7月には子会社の電通国際システムを吸収合併して国内の開発体制を一本化する。売る商品が変われば、GEの設備を借りている意味も薄れる。2000年11月に東証一部へ上場した時点で、会社の中身はすでにオープン系のシステム開発に寄っていた[3][4]

決断

2003年3月、国際遠隔情報処理サービスの終了

2003年3月、同社は国際遠隔情報処理サービスの提供を終えた。沿革に一行だけ残るこの記載は、会社の名前の由来にあたる事業の幕切れにあたる。GEのネットワーク設備を使って国境をまたいだ計算処理を売るという設立目的は、ここで完全に消えた。残ったのは、金融業・流通業・サービス業向けのシステム開発と、自社開発のソフトウェア製品、そして海外ベンダーのソフトウェア商品を選んで売る仕事であった[5][6]

幕切れの期は、上場後で最も悪い決算と重なった。2003年3月期の連結売上高は708億円で前期から16億円減り、経常損失15億84百万円・当期純損失20億58百万円を計上した。営業活動によるキャッシュ・フローも69億円の流出となり、現金及び現金同等物の期末残高は前期の150億円から67億円へ落ちている。上場時に掲げた年商1,000億円と、2004年3月期に売上1,200億円・経常利益120億円という目標は、この期を境に現実味を失った[7][8]

資本の側で起きたこと

資本関係の解け方は、事業の終了ほど明快には記録されていない。分かるのは二つの時点である。2000年11月の上場直前、GE Information Services, Inc. は2,905千株・23.6%を持つ第2位の株主であった。そして2006年3月31日現在の大株主10名にGEの名はなく、首位の電通が20,129千株・61.76%を保有していた。この間に電通の持株比率は上場直後の水準から上がっており、GEが手放した株式の一部が電通へ渡ったとみられる[9][10]

会社の外から見れば、これは「International」の中身が抜けた過程にあたる。株式公開そのものが、かつては株主の同意を得られずに流れた案件であった。瀧浪壽太郎社長は上場時、8年ほど前に一度机上で検討し、本格的な計画立案に入ったのは3年前だと語っている。二社の合意を要した会社が公開市場を挟んで電通1社の傘下へ収まるまでに、設立から30年が過ぎていた[11][12]

結果

電通1社を親会社とする国内SIerとして

祖業の終了から3年で、業績は損失を出す前の水準へ戻った。2004年3月期は連結売上高716億円・経常利益21億97百万円、2005年3月期は720億円・22億94百万円、2006年3月期は687億円・27億90百万円と黒字が続き、自己資本比率は2003年3月期の60.6%から2006年3月期の62.7%へ上がっている。売上は700億円前後で伸び悩んだものの、収益は安定した。2006年6月には電通から水野紘一氏が社長に就き、経営陣の側でも親会社は1社に絞られた[13][14]

親会社が1社になったあと、電通の持株比率61.76%は動いていない。2016年12月期から2019年12月期まで株式会社電通が20,129千株、2020年12月期以降は商号変更後の株式会社電通グループが同じ株数を持ち、2021年12月期の株式分割を挟んでも比率は61.78%で据え置かれた。上場を続けながら6割超を親会社が握る構成は、2026年に電通グループが非公開化を検討していると報じられるまで、20年にわたり変わらなかった[15][16]

出典・参考

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