不祥事後の信頼回復
企業の不始末は、長く監督官庁と業界の内側で処理されてきた。制度上の開示は期末の有価証券報告書が中心で、不正の判明後に投資家や消費者へ説明する仕組みはなかった。処分の重さは当局との関係で決まり、公表は企業の裁量に残されていた。
帳簿にも損失を隠す余地があった。1970年代後半に、親会社と子会社を合算する連結決算が評価の基準として導入された。それでも、連結の対象外へ移した損失は表に現れなかった。山一證券が含み損を連結対象外の会社へ移したのは、その余地を使った処理である。
隠す余地が狭まったのは1990年代末からである。連結の範囲が広がり、決算を外部の物差しで説明する必要が生じた。2000年に雪印と三菱自動車の不祥事が並ぶと、批判は帳簿の外にも及び、法令を守る姿勢と危機への感度そのものが問われた。焦点は不正の中身よりも、発覚から公表まで何日を要したか、その間に誰が知っていたかだった。開示が遅れれば、不正とは別に、隠したという事実がもう一つの不祥事になる。
追及を退けた企業は重い代償を払った。オリンパスは損失の隠蔽を追及した社長を解任し、東芝では不適切会計の発覚が歴代3社長の引責辞任に及んだ。西武ホールディングスは有価証券報告書の虚偽記載で上場廃止となり、三菱自動車工業は燃費試験データの改ざんを機に日産自動車の傘下へ入った。
一方、先に開示した企業は事業を存続させている。クボタは旧神崎工場の石綿疾病を自主公表して周辺住民へ救済金を支払い、住友商事は銅地金の不正取引で当局への全面協力を最優先した。公表の時点では損害の全容も負担の上限も見えていない。それでも先に公表するのは、第三者に暴かれれば、不正の規模とは無関係に説明の機会を失うためである。
償いを恒久の枠組みに変えた森永乳業のヒ素ミルク中毒事件まで遡っても、開示が先か追及が先かという順序は変わらない。発覚から開示までの日数が、経営陣の進退と資本の独立を左右する。不正の規模は調査が終わるまで確定しないが、開示の日付だけは企業が自ら決められる数少ない条件である。
財務諸表のどこを見るか
不祥事は先に内部統制報告書へ出る。開示すべき重要な不備の有無と、その是正が完了した事業年度を最初に確かめたい。次に訂正有価証券報告書の対象年度をたどり、過年度の損益がどこまで遡って修正されたかを押さえる。監査報告書では意見の種類と、監査上の主要な検討事項に当該論点が入ったかを読む。損益では特別損失の調査費用・和解金・課徴金、製品保証引当金や訴訟損失引当金の繰入額を追う。役員の状況にある取締役の異動と社外取締役の人数が、責任の配分をそのまま表す。