上場企業の経営論点>再建・危機対応

経営再建

日本企業の経営再建は、資金と経営者を誰が出すかで三度変わった。高度成長期はメインバンクと系列が引き受けた。1965年に山一證券は日本銀行の特別融資で新旧勘定を分離し、1980年にはジェイテクトがトヨタ自動車工業へ支援を要請して第三者割当増資で資本関係を深めた。バブル崩壊で銀行自身が不良債権を抱えると、担い手は国外資本と投資ファンドへ移る。日産自動車はルノーの出資を受け入れ、シャープは鴻海の傘下で戴正呉氏に再建を託し、パイオニアはベアリングPEの資本と引き換えに上場を退いた。破綻が広く波及する企業では、国家が前面に出た。りそなHDは預金保険法102条で公的資金1兆9,600億円を受け、ダイエーは産業再生機構に委ね、日本航空は会社更生法の下で稲盛和夫氏を招いた。再建の主体は系列の銀行から資本市場と公的機関へ移っている。

財務諸表のどこを見るか

再建の資金と権限がどこから来たかを見る。株主資本等変動計算書と資本金・資本剰余金の増減で第三者割当増資や優先株の発行額を押さえ、大株主の状況で筆頭株主の交代を確かめる。借入については有利子負債の残高と返済期限の内訳、注記の債務免除益と借入条件の変更を読む。再建の切迫度は継続企業の前提に関する注記と重要事象等の記載に出る。役員の状況で外部から招いた社長・会長の前歴をたどると、誰が経営を握ったかが分かる。

2020年代

2026年 日本板硝子 アポロ出資で非公開化 1650億円の出資受け入れと、株式併合による上場からの退出 2025年 資生堂 藤原憲太郎の構造改革 過去最大級の赤字と構造改革 2025年 日本精工 ステアリング事業の全株買戻し いったん分社し投資ファンドへ渡した過半株式の2年での取り戻し 2025年 日産自動車 Re:Nissanで7工場統廃合 2万人規模の人員削減と生産体制の縮小に踏み込んだ経営再建計画 2025年 三菱UFJFG 貸金庫窃取事件で立て直し 顧客資産をめぐる信用毀損への対応と、内部管理体制の作り直し 2024年 ユニチカ 上埜修司退陣と繊維撤退 祖業を畳むための870億円の金融支援と経営陣の総退陣 2024年 住友化学 岩田圭一の構造改革 過去最大の赤字を受けた抜本的構造改革と資産圧縮による再建 2024年 SOMPOHD ビッグモーター問題と経営刷新 保険金不正の発覚を受けた経営陣の総入れ替えとガバナンスの立て直し 2023年 北の達人コーポレーション チームXによる組織再建 広告運用の効率偏重の見直しと、クリエイティブの多様化 2023年 住友ファーマ ラツーダ特許切れで北米半減 総額1,809億円の減損計上と、北米人員半減・パイプライン圧縮による構造改革 2022年 住友大阪セメント セメント価格を値上げ 石炭高騰下での1トン2,000円級の値上げの反復と、生コン向け取引慣行の見直し 2021年 三井E&S 常石造船へ株式譲渡 造船事業からの撤退と、舶用エンジン・港湾クレーンへの集約 2021年 サンリオ ハローキティ依存の脱却 ハローキティ一本足のライセンス収益を複数キャラクターへ分散させた収益構造の組み替え 2021年 しまむら 「リ・ボーン」でV字回復 中期経営計画に掲げた原点回帰と、3期連続減益からの反転 2021年 ヤマダHD 大塚家具の完全子会社化 父娘騒動で疲弊した名門家具の救済と取り込み 2020年 日本製鋼所 日鋼MECへ吸収分割 素形材・エネルギー事業の切り出しと、6年後の本体への吸収合併 2020年 サンリオ 辻信太郎から辻朋邦へ承継 創業60年で初のトップ交代と、第二の創業を掲げた構造改革

2010年代

2019年 ZOZO 澤田宏太郎氏へ経営交代 創業者・前澤友作氏の辞任と、社長を選ぶ手続きの新設 2019年 ワークスアプリケーションズ HR事業の売却 会社分割を伴う中核事業の切り出しと事業構成の作り直し 2019年 曙ブレーキ工業 事業再生ADRの申請 560億円の債権放棄を前提とした国内外の生産拠点の縮小 2019年 MTG 大田嘉仁氏の会長招聘 不適切な会計処理を受けた取締役会の刷新と、京セラ出身 2018年 パイオニア ベアリングPE傘下で再建 上場廃止と引き換えに外部資本を受け入れる、時間を買う立て直し 2017年 三陽商会 バーバリー喪失後の改革 岩田功社長の主導による百貨店依存からの脱却と構造改革 2016年 キリンHD ハイネケンへ売却し撤退 巨額減損に至った現地事業の切り離しと、ブラジル展開の断念 2016年 シャープ 鴻海傘下で戴正呉氏が再建 経営体制の入れ替えと、構造改革による自己資本の立て直し 2016年 シャープ 鴻海の出資受け入れと革新機構案の破談 官民ファンド案と台湾企業案の二者択一と、外資の傘下入り 2016年 ニコン 岡昌志主導の希望退職 二本柱同時不振と1143名の希望退職──2016年の全社構造改革 2015年 ワールド 上山健二の500店閉鎖 大規模な構造改革による店舗網の縮小と、不採算ブランドの廃止 2015年 あおぞら銀行 資本再構成プラン完済 公的資金の分割返済と、期限を待たない一括での前倒し完済 2014年 日本マクドナルド サラ・カサノバの再建 期限切れ食材の発覚による客離れと、米本社による株式売却検討の凍結 2014年 双日 加瀬豊の有利子負債圧縮 有利子負債1兆5000億円の圧縮と旧二社の組織融合という10年の再建 2014年 すかいらーくHD ベインキャピタル傘下で再上場 投資ファンド傘下で進めた経営再建と、八年ぶりの東証復帰 2014年 ソニー 平井氏、VAIOと電池事業を譲渡 PC・電池・化学を資産と人員ごと手放し、五つの領域へ集中した構造改革 2013年 めぶきFG 預金保険機構による民営化 足利銀行全株式の取得と、東証一部への直接上場による再出発 2013年 九州電力 川内1・2号機の再稼働申請 全原発停止下での家庭向け料金値上げと、原子力復帰を先頭に据えた収支の立て直し 2012年 沖電気工業 本庄工場をEMSに転換 閉鎖寸前だった生産拠点の受託生産化と、他社工場を買う側への転身 2012年 SOMPOHD 櫻田謙悟氏の社長就任と損保2社合併 2期連続の赤字を受けて発足時のCEO体制を解き、事業会社2社を並存させる建付けを捨てて合併と一体化運営へ踏み込んだ選択 2011年 東京建物 SPC評価損で畑中誠辞任 出資SPCの評価損の一括計上による純損失717億円と、再開発・物件売却を両輪とする収益構造への組み替え 2010年 バンダイナムコHD IP軸戦略への転換 作品の権利そのものを事業の軸に据える経営方針への切り替え 2010年 伊藤忠商事 か・け・ふ改革 非資源No.1・商社三冠を掲げた、資源依存からの収益構造の組み替え 2010年 日本航空 アメーバ経営で再建 会社更生法下での稲盛和夫氏の招聘と、フィロソフィによる意識の作り替え 2010年 U-NEXT HOLDINGS インテリジェンスの譲渡 米KKR系ファンドへの売却で区切りをつけた連続子会社譲渡 2010年 スクウェア・エニックスHD "FF14"の全面作り直し サービス崩壊を認め、吉田直樹氏を起用した"

2000年代

2009年 ドリームインキュベータ ファンド組成型への転換 投資規律の厳格化と、株式市況に左右されない収益構造への組み替え 2009年 ムニノバHD 事業再生ADRで存続 大手4社で唯一、会社更生も銀行傘下入りも避けた独立系としての再建 2009年 日立製作所 社会イノベーション事業への集中 製造業最大の赤字を受けて上場子会社を取り込み、事業を絞り込んだ再建 2009年 エルピーダメモリ 日本政策投資銀行の出資受入 改正産業活力再生特別措置法にもとづく優先株300億円という公的資金の導入 2009年 ヤマハ発動機 柳弘之の構造改革と工場再編 リーマン後の構造改革と損益分岐点型経営への転換 2007年 三機工業 採算重視受注へ転換 規模を超える受注拡大策の撤回と、身の丈に見合った量への引き下げ 2007年 山崎製パン 不二家の51%子会社化 資本参加と過半の取得による、同業大手の経営再建の引き受け 2007年 さくらインターネット 笹田亮氏の引責辞任 債務超過を受けた社長交代と、上場後に広げた子会社の一斉整理 2007年 パイオニア シャープと資本提携 同業大手からの出資受け入れと、業務面まで踏み込んだ関係の構築 2007年 アコム グレーゾーン金利の消滅 過払金返還への対応——崩れた収益モデルの再建 2007年 GMOインターネットG ローン・クレジット事業撤退 参入からわずか2年で見切りをつけた金融分野の切り離し 2006年 三洋電機 ゴールドマンら3,000億円増資 転換可能優先株式3,000億円の第三者割当増資と、議決権のほぼ半分の譲り渡し 2006年 ボーダフォン(現ソフトバンク) ボーダフォン日本法人買収 1兆6,935億円を投じたLBOによる携帯電話事業への参入 2005年 オリンパス デジカメ事業の黒字転換 映像事業の構造改革によるコスト構造の立て直しと収益基盤の回復 2005年 西武HD サーベラス出資での再建 後藤高志氏の招聘と、持株会社体制への移行によるグループ再建 2004年 双日 航空機ファイナンス損失処理 総額2500億円に及ぶ一括処理と、手を付けてこなかった事業への切り込み 2004年 三菱自動車 ダイムラー撤退後の自主再建 三菱グループ各社の支援を軸とした自主再建体制への移行 2004年 ダイエー 産業再生機構の支援 自力での再建を断念し、公的な枠組みに委ねた経営の立て直し 2003年 安藤・間 会社分割で間組設立 建設事業の切り出しと承継会社への移管という組織再編 2003年 ニデック 三協精機の買収 経営不振に陥った精密機器メーカーを傘下に収めての立て直し 2003年 富士通 黒川博昭氏の構造改革 連結最終赤字3,825億円からの再建 2003年 ソニー エリクソンと携帯電話合弁 合弁会社の設立と、赤字下での追加出資による事業の継続 2003年 めぶきFG 足利銀行の実質国有化 債務超過の認定と、預金保険法に基づく特別危機管理への移行 2003年 りそなHD 公的資金1.96兆円受入 預金保険法102条の初適用による公的資金約1兆9,600億円の受け入れと、外部招聘した細谷英二会長のもとでのリテール銀行再建 2003年 光通信 OA機器販売への転換 社債償還危機下の有利子負債圧縮と収益源の入れ替え 2002年 JVCケンウッド 河原春郎氏の再建 債務超過に陥ったケンウッドの再建と業務用・車載への事業転換 2002年 三菱自動車 エクロート氏の構造改革 ダイムラー主導で進んだ、聖域を設けない再建計画の断行 2002年 丸紅 勝俣宣夫の不良資産処理 業績不振からの再建をめざした財務基盤の立て直しと不良資産の処理 2002年 あいおい損害保険 旧千代田火災の損失処理 米国再保険で生じた1300億円の損失処理と、旧2社の融和・システム統合による立て直し 2001年 パソナG ナスダック・ジャパンへ上場 新事業と旧事業を分離したうえでの本業回帰と株式公開 2001年 アスクル EC期待による株高の反動 株価の急落を受けた、岩田彰一郎社長による原点への引き返し 2001年 資生堂 池田守男のブランド集約 散らばった商標の絞り込みによる、チェーン店の立て直し 2001年 日本軽金属HD 佐藤薫郷の横串チーム設置 横串チームの設置と、事業部の縦割りからグループ横断の開発体制への転換 2001年 コマツ 坂根正弘の「ダントツ経営」 新体制が進めた経営構造改革とV字回復 2001年 パナソニック 中村邦夫氏「破壊と創造」 長年の事業部制の解体と、グループ5社を取り込む組織の作り替え 2001年 良品計画 ヨウジヤマモトへ全面委託 松井忠三の下での立て直しと、衣料品デザインの外部への全面委託 2001年 ロイヤルHD 経営構造改革本部と129店閉店 4年間の店舗整理に伴う300億円超の特別損失処理 2000年 そごう 西武との合併構想 破綻処理から再建へ——興銀が招いた和田繁明氏が描いた百貨店再編の設計図

1990年代

1999年 DOWA 吉川廣和の緊急対策 1999年の緊急対策に始まる事業構造改革と、ROAを物差しにした資産・人員の圧縮 1999年 日産自動車 ルノーとの資本提携 仏大手の出資の受け入れと、再建計画に賭けた立て直し 1999年 日商岩井 三和銀行8行の融資枠受入 6000億円の有利子負債1兆円の圧縮 1999年 ANAHD スターアライアンスへ加盟 世界最大の航空連合への参加と「選択と集中」による経営再建 1998年 レナウン 水野史郎氏へ全権委任 外様の会長への全権委任と、役員全員による辞職届の提出 1998年 ジャストシステム ソニー出資による再建 「一太郎オフィス8」の失速による初の赤字と、人員削減を伴う外部資本の受け入れ 1998年 ニッセイ同和損害保険 「新創業運動」の展開 料率自由化を前にした支店制への移行と代理店網の選別 1997年 ニデック トーソクへの資本参加 企業買収による成長モデルの確立 1997年 ヤオハン ジャスコの支援受け入れ 会社更生下で競合を再建スポンサーに迎え、主力店を手放した末の存続策 1996年 長谷工コーポレーション 合田耕平の1850億円一括処理 「毎年赤字より一回ドカンと出す」──1,850億円を一度に落とし、含み損を後年へ残さない決着 1996年 東急 東急百貨店の立て直し 財テクの行き詰まりを受けた、仕入れと販売を自ら担う本業への回帰 1995年 ツムラ 多角化子会社の整理 バブル期に広げた裾野の縮小と、創業家の外からの社長招聘 1995年 テルモ 和地孝の企業風土改革 テルモ・ビジネス・ユニットの導入を軸とした企業風土の立て直し 1994年 阪和興業 北修爾への交代と本業回帰 本業回帰と8期ぶりの復配 1994年 三井住友トラストG 麻布グループ再建案策定 取引先の再建案の策定と、1994年度の不良債権2,000億円の償却 1994年 靴のマルトミ 不採算店の一括閉鎖 180店の即時整理を含む、3年で380店を減らす経営改善計画 1993年 オンキヨー 東芝との資本提携解消 36年に及ぶ親会社の傘からの離脱と、大朏直人氏個人による株式取得での独立 1993年 日本ビクター 無配転落を受けたリストラ 上場以来初の無配に沈んだ経営再建と、単一規格に偏った体質の改造 1993年 日本航空 公社体質との決別 民営化後初の大幅赤字を受けて着手したコスト構造の全面的な見直し 1993年 日活 若松正雄社長辞任と更生法申請 ゴルフ場3カ所への80億円投資の行き詰まり 1993年 日本アイ・ビー・エム 初の赤字とリストラ 三次にわたる人員と事業の絞り込みによる収益構造の立て直し 1992年 ローム 佐藤研一郎の受注整理 半導体不況下の受注整理と生産改革 1992年 ペンタックス 松本徹氏の再建組織委員会 再建組織委員会の設置と、人員削減によらない全社コストダウン、カメラ生産の海外移管 1990年 赤井電機 三菱電機と資本業務提携 筆頭株主として大手を迎え入れることで描いた経営再建の道筋 1990年 SUBARU 川合流経営での再建 独自の流儀を貫いた指揮による本体黒字化への立て直し 1990年 三菱商事 米アリステック・ケミカル買収 日本企業初の大型LBOと6年越しの黒字化

1980年代

1989年 日揮HD 海外調達50%へ転換 円高危機で傷んだ収益の立て直しを狙った仕入れ先の組み替え 1989年 ライオン 「ペンタデカン」ねつ造事件 育毛剤のデータねつ造をめぐる小林敦社長による経営危機の総括 1989年 川崎汽船 北米定期航路への集中投資 1,200億円を投じた邦船6社共同運航体制からの離脱と単独運航への移行 1988年 日産化学 中井武夫氏の石化撤退 石油化学からの完全撤退と、農薬・機能性材料への事業転換 1987年 アサヒGHD 「スーパードライ」発売 従来の味を捨てる全面転換に社運を賭けた新商品への集中 1987年 東レ 前田勝之助の経営改革 組織の肥大と意思決定の遅れという自己診断から着手した、社内体制の立て直し 1987年 日産自動車 久米体制での文化刷新 構造的な業績不振からの脱却をめざした企業文化の刷新と欧州現地生産 1987年 象印マホービン サクセス90の発売 電気炊飯ジャーを低価格路線から高級品路線へ切り替える商品戦略の転換 1987年 丸紅 春名和雄による商社再生 収益体質の歪みを社内に名指しし、稼ぐ力の回復を軸に据えた経営の立て直し 1986年 山九 中村汽船倒産で社長就任 親会社の経営破綻を受けた35歳・中村公一氏への経営の引き継ぎ 1985年 住友ゴム工業 英ダンロップ事業を取得 保有株の買い取りによる欧州3社・米国のタイヤ事業の取り込み 1984年 明治製糖 明糖産業へ営業譲渡 三菱商事全額出資の受け皿への全営業譲渡と、旧会社の解散 1983年 ヤマハ発動機 HY戦争での敗北 敗北の代償として受け入れた、年産半減までの縮小再建 1982年 アサヒGHD 住友銀行出身者招聘とCI導入 副頭取・村井勉氏を迎え入れ、外部の目に託した朝日麦酒の組織再建 1981年 久光製薬 サロンパス軸へ資源集中 赤字決算を受けた経皮吸収型製剤への経営資源集中 1980年 ジェイテクト トヨタ自動車工業へ支援要請 巨額赤字を背景にした第三者割当増資による資本関係の深化 1980年 吉野家HD 会社更生法の申請 不採算店閉鎖・生タレ復帰による再建

1970年代

1979年 京成電鉄 石油ショック後の経営危機 経営危機がもたらした川崎体制の終焉 1978年 横浜ゴム グッドリッチが資本離脱 外資の後ろ盾を失った後の「ADVAN」投入と独自路線の確立 1978年 オークマ 経営情報の開示で再建 大隈孝一社長の引責退陣と、大隈武雄社長への交代 1977年 三菱電機 営業本部・4事業本部制移行 生産志向でつくられてきた事業部編成の解体と、市場を起点とする体制への組み替え 1977年 キヤノン 賀来龍三郎氏の社長抜擢 事業部制による組織の再編と、事務機事業への経営資源の集中 1976年 アドバンテスト 富士通の救済出資 救済出資を受けてのICテスタ集中による再建 1975年 日本軽金属HD 日軽アルミ吸収で垂直統合 アルミ製錬の拡張計画の撤回と、減量経営・垂直統合への転換 1974年 アマダ 園池製作所の株式取得 不振に陥った同業の連続買収と、企業再建を事業に組み込む路線への転換 1974年 日本光電工業 危機突破2-4作戦 無配転落下での減量経営「」と、復配目標「0、1、2、3計画」の設定 1972年 三井金属 イタイイタイ病賠償受諾 控訴審敗訴を受けた責任の全面的な引き受けと、公害防止協定・土壌復元の締結 1971年 積水化学工業 セキスイハイムで住宅参入 鉄骨系ユニット住宅を武器にした新しい事業の柱の立ち上げ 1971年 コニカ U-Bixで事務機参入 電子複写機の投入に合わせた八王子工場のカメラからの転換

1960年代

1969年 三菱鉱業セメント 三菱高島炭砿を設立 石炭生産部門の分離と、三菱大夕張炭砿など採炭子会社への切り出し 1969年 パルコ ファッションビル運営へ転換 百貨店業からの撤退と、専門店に場所を貸す商売への転換 1969年 日本国有鉄道 財政再建10年計画の策定 特別措置法に基づく設備投資3兆7000億円・要員約6万人縮減 1967年 トヨタ紡織 豊田紡織への社名変更 石田退三氏の会長就任と、名を改めての立て直しの着手 1967年 栗田工業 伊藤忠商事による経営再建 粉飾決算の露見と、増資引受を受け入れての再出発 1965年 日本興業銀行 山一証券の再建引受 日高輝氏を送り込む形での、主力3行による再建責任の分担 1965年 山一證券 日銀特融の受け入れ 日本銀行法二十五条による特別融資の受け入れと、新旧勘定分離による再建 1964年 NSユナイテッド海運 日本郵船グループへ系列編入 海運集約のもとでの独立経営の断念と、大手グループ傘下入りという選択 1963年 積水ハウス 田鍋健氏が直販へ転換 販売と施工を自社で担う体制への切り替えと、高級化路線の採用 1963年 横浜ゴム 新城工場建設で立て直し 首位を明け渡した後の巻き返しと、島崎敬夫社長による経営刷新 1962年 大王製紙 三島工場の操業維持 会社更生法の適用申請と、操業を止めないままの再建手続 1961年 日油 川崎・千鳥工場で石化進出 連続赤字下で踏み切った新工場の建設と事業の柱の入れ替え

1950年代

1940年代

1930年代

1920年代

1900年代

1890年代

1880年代

再建・危機対応のほかの問い

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