連続赤字からの再建を石油化学への進出が救ったと読むのは、時間の順序を取り違えている。半期ごとの業績をたどると、1956年11月期から三期続いた赤字は1958年5月期に黒字へ戻り、千鳥工場を新設した1961年の11月期には当期純利益3.51億円と、回復の頂点に届いていた。塗料工場を構えていた川崎への投資は赤字を止めた手ではなく、止まったあとに次の停滞を見越して打った先回りの一手だったと思われる。
もっとも、その先回りが油脂偏重を解いたとはいえない。石油化学へ進んだのちも当期純利益は1962年11月期の1.82億円から1965年11月期の0.31億円まで細り、売上109億円に対する利益の薄さは、赤字が並んだ時期と質のうえで変わらなかった。収益の形が動くのは、6つの事業部を独立採算で走らせる組織へ組み替えてからである。設備は数年で建つが、それを利益に変える組織は後から追いつくほかない。