肥料は存続会社に残り、油脂・塗料・火薬・溶接棒という技術も顧客も異なる四つが、まとめて第二会社へ渡された。企業再建整備法の手続きそのものより、この線をどこに引いたかが後の日油の形を決めている。1965年の独立採算制6事業部は、その出自を組織の形に置き換えたものといえる。1991年3月期でも、四つの系統だけで売上高1374億円の86%を占めていた。
もっとも、四事業を一社に残した構成は代償も伴った。事業部が独立した会社のように動く形は、40年後には壁として表れ、情報や技術を出し渋る実態を招いた。日本油脂は1990年から1年をかけ、顧客や代理店を含む210人に延べ290時間の聞き取りを行って、その弊害を洗い出さなければならなかった。会社をどこで切り、何を一つに残すか。1949年の線引きは、半世紀後の組織の課題まで決めていたのだろう。