解雇によらない構造改革(1993年・横河電機の決断)

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論点 雇用維持と構造改革の両立
売上高(億円)当期純利益率(%)
人員整理に頼らずに進めた収益構造の立て直しと、雇用を守る経営路線の選択

人員整理に頼らずに進めた収益構造の立て直しと、雇用を守る経営路線の選択

概要

1990年代、設備投資不況で業績が悪化した横河電機が、雇用は守るという温情主義の公約を掲げたまま、出向専門の第2人事部・間接部門の分社化・ 『新幹線発想』 による30%コスト削減で構造改革を進めた経営判断。1993年に就任した美川英二社長が、解雇に頼らずに人員を動かすリストラを自ら指揮した。

背景

売上の8割超を工業計器が占める横河電機は、2ケタ成長が望めなくなっていた。バブル崩壊後の3年で売上は約17%減少し、売上高営業利益率は60年代の16.3%から1993年3月期の1.2%まで低下した。一方、製造の自動化とソフト化で中高年の設計者・熟練工が余り、解雇をしない伝統との間で緊張が生じていた。

内容

1990年に出向専門の第2人事部を設けてグループ全体で人材を共有し、経理などの間接部門を横河ファイナンシャルサービスなどへ分社化した。1993年就任の美川英二社長は"ゼロ発想法"で人事部門を88人から22人へ絞り、42のプロジェクトチームに若手リーダーを据えて主力機種の製造原価を30%削減した。

含意

解雇をしない代わりに、できる社員を出向させ、間接部門を関係会社へ移し、社内に年俸制と実力主義の競争を持ち込んだ。温情主義の中に熾烈な競争を組み込む綱渡りは35%のコスト削減を実現したが、雇用維持の公約は2003年に工場閉鎖と希望退職の決定で撤回されることになる。

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筆者の見解 公約と実質のあいだで
筆者の見解

公約と実質のあいだで

この判断の核心は、"雇用は守る"という公約を掲げたまま、解雇以外のあらゆる手段で人と原価を組み替えた点にある。出向専門の第2人事部、間接部門の分社化、ゼロ発想による人員圧縮、若手主導の原価削減——美川英二社長が用いた手法は、いずれも社員を会社の外へ押し出さずに、働く場と仕事の中身を作り替えるものであった。温情主義の看板と熾烈な社内競争とを同居させる綱渡りには、日本企業が終身雇用のもとで構造改革をどこまで進められるかという問いが凝縮していたのだろう。

もっとも、その両立は永続しなかった。1990年代の解雇なきリストラは35%のコスト削減という成果を挙げたが、市況の変動が続くなかで、横河電機は2003年に雇用維持の公約そのものを見直す選択へ踏み込む。公約を掲げて改革を貫くのか、公約自体を書き換えるのか——美川英二社長の路線は、雇用を守るという約束と競争力の確保という要請のあいだで、企業がどこまで踏みとどまれるかを映した一例といえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 1998年5月11日号
  • 日経ビジネス 1994年4月11日号
  • 日経ビジネス 1993年8月9・16日号
  • 日経ビジネス 1992年2月24日号
  • 横河電機100年史(横河電機, 2015)

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