この創業が示すのは、特定の創業者個人ではなく、財閥解体で分散した人と商権を寄せ集めた集団が総合商社を組み直した経緯である。1870年の九十九商会から続いた岩崎家の商事系譜は1947年の解散で単一法人としては途切れ、約150社に分かれた勢力の主要な部分を1954年の四社合同が再び一法人へ統合した。創業者の名を掲げた出発ではなかったことが、戦後三菱商事を特徴づける集団的な再起の性格を形づくっていたと推察される。
もう一つ見えてくるのは、再結集した会社が引き継いだ商品構成の意味である。三菱グループの重工業・化学を映した鉄鋼・非鉄金属・機械を主軸とした点が、繊維取引を中心に据えた同業他社との違いを初期条件として与えていた。1968年の商品本部制とブルネイLNGへの参画によって、物産の仲介から資源や事業への投資へと収益の源を広げた道筋も、この初期条件のうえに引かれていたと読める。分散からの再結集という戦後の出発が、以後の三菱商事の性格を長く方向づけていったといえる。