槙原稔
三菱商事・元取締役社長
社長就任までの出自
出自
1956年に三菱商事へ入社し、米国三菱商事の社長・会長を務めたのち帰任して、専務取締役から社長へ進んだ。諸橋晋六会長は後継を選ぶ基準を営業実績ではなく「国際的な感覚で会社を変えられる素地」に置いており、海外の現地法人を経営した経歴がその基準に合った人選とみられる。
社長に選ばれた経緯
抜擢
諸橋晋六氏の後任として社長に就任した。三菱商事は1970年代のエネルギー開発で安定した利益を得たのち、バブル期にはマーチャントバンクに活路を求めたが、売買差益による収益は日本の景気に左右され、このままでは浮上できないという危機感が社内に強まっていた。槙原氏は自社の置かれた状態を「恐竜かホモ・サピエンスかの分かれ道」と表現している。
在任中の主な施策
施策
特金・ファントラの含み損は就任1年目に処理され、約660億円の特別損失となった。同じ年、財務部門を率いていた太田信一郎副社長が退任している。2年目は事業投資の洗い直しに踏み込んで不採算の事業を整理し、特別損失は2年間で合わせて約1600億円にふくらんだ。組織面では仮想本社機構への組み替えで役員フロアから営業担当役員の部屋を消し、経営の方向を決める会議を新たに設けて代表権のある役員を半分に減らした。米国では1990年に買収したアリステック・ケミカルが1995年に初めて黒字を出したが、それに先立ち1994年8月に5億ドルを追加で融資し、旧経営陣を退任させていた。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1992〜1997年
在任中の業績
就任前(FY91)181,217億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-