岩崎弥太郎
三菱商事・元郵便汽船三菱会社に改称(社長)
社長就任1873年3月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1859〜1885年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1859年主要役職の状況(推定含む目安)1885年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 高知藩 | 1859 | 吉田東洋の推挙で初めて藩職に就き長崎へ出張 | ||
| 1866 | 開成館貨殖局下役 | ||||
| 1867 | 長崎商会(開成館長崎出張所)主任 | ||||
| 1869 | 開成館貨殖局大阪出張所勤務 | ||||
| 1870 | 高知藩少参事(九十九商会を統轄) | ||||
| 三菱商会 | 1873 | 三川商会を三菱商会と改称し社長(社主)に就任 | |||
| 1875 | 郵便汽船三菱会社に改称(社長) | ||||
| 1885 | 社長退任(同年2月7日に死去) |
社長就任までの出自
出自
1835年に生まれ、1859年に吉田東洋氏の推挙で初めて土佐藩に出仕し、長崎へ出張した。1866年に後藤象二郎氏が設けた藩営の開成館で貨殖局の下役となり、翌1867年からは長崎商会の主任として、藩の武器・艦船の買付けと樟脳・和紙など土佐物産の輸出を任された。1869年に大阪の出張所へ移って藩の交易と回漕問屋の業務を統括し、1870年には高知藩の少参事に昇進した。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1871年7月の廃藩置県で藩職を失うと、旧藩士の板垣退助氏と高知県大参事の林有造氏から、九十九商会を個人の事業として引き受けるよう懇請された。1872年1月に三川商会として再出発した当初は、営業を川田小一郎氏・石川七財氏・中川亀之助氏の3人に任せ、自らは官界への転身も視野に入れていた。日本国郵便蒸気船会社との貨客の争奪が激しくなると自ら采配を振るい、1873年3月に社名を三菱商会と改めて社主の座に就いた。藩士の同輩の結社では競争を戦い抜けないことが、指揮権の一本化を促したとみられる。
在任中の主な施策
施策
1874年4月に本店を東京の南茅場町へ移し、同年7月には台湾出兵の軍事輸送を政府から引き受け、政府が買い入れた外国船13隻を預かった。1875年1月に長崎・上海間で日本初の外国定期航路を開き、同年9月の第一命令書で13隻の無償下付と年25万円の助成を受けて、社名を郵便汽船三菱会社とした。1877年の西南戦争では全社船を軍事輸送に充て、1880年には全国の汽船トン数の62.9%を占めるに至った。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献3件
参考文献
- 三菱商事社史 上巻(1986)「巻頭 歴代社長」
- 三菱商事社史 上巻(1986)「第一部第一章 明治維新と三菱創業」
- 「岩崎家傳記」索引集(三菱経済研究所付属三菱史料館)国立国会図書館サーチの書誌(イワサキ ヤタロウ デン)
事実根拠:出所(三菱商事)